ユーロ・ポップの台頭 ― 「無国籍」なメロディの魅力(1975-79年)

1970年代後半、世界を席巻したのはアメリカやイギリスから届くポップスだけではなかった。ヨーロッパから押し寄せたキャッチーな「ユーロ・ポップ」の波――それは、音楽の地図を塗り替える静かな革命だった。

もちろん、この流れは突如として現れたわけではない。1960年代から70年代初頭にかけて、フランスからはシルヴィ・ヴァルタン、フランソワーズ・アルディ、ミッシェル・ポルナレフなどが、イタリアからはミーナ、ジリオラ・チンクエッティなどが登場し、日本で大ヒットした。

ブルースやフォークを源流に持つ英米のロックに対して、欧州のポップスには、日本人が好む「哀愁」や、流麗で少しウェットなメロディラインが色濃く漂っていた。言葉がわからなくても口ずさみやすい感傷的な旋律が、日本独自の進化を遂げていた歌謡曲の感性と重なったのかも知れない。

しかし、70年代後半に世界的な人気を集めたユーロ・ポップは、それらとは異なっていた。単なる"異国情緒"としてではなく、国際的なポップスとして受け入れられる音楽が次々と生まれ、幅広い層に浸透していった。

その代表的存在が、スウェーデンから登場したABBAだった。「ダンシング・クイーン」(1976)や「マンマ・ミーア」(1975)など、親しみやすいメロディと緻密に構築されたサウンドは、世界的な支持を得て、後々まで聴き継がれるものとなった。

「Dancing Queen」ABBA

同時期、スウェーデンのハーポが、映画スターへの憧れを軽妙に描いた「ムーヴィー・スター」(1975)を、スヴェンネ&ロッタは弾むようなコーラスが印象的な「バン・バン・ブーメラン」(1975)などをヒットさせた。

「Moviestar」Harpo
「Bang A Boomerang」SVENNE & LOTTA

また、ドイツのボニーMは「怪僧ラスプーチン」(1978)でディスコサウンドを取り込み、同じくドイツのシルヴァー・コンベンションは、言葉を最小限に抑えたダンス・ミュージック「フライ、ロビン、フライ」(1975)をヒットさせた。

さらに1979年には、ジンギスカンが同名曲で国際的な人気を獲得し、キャッチーなメロディと視覚的なパフォーマンスで、ユーロ・ポップの無国籍的な魅力を印象づけた。

「Rasputin(怪僧ラスプーチン)」Boney M.
「Fly Robin Fly」Silver Convention
「Dschinghis Khan」Dschinghis Khan

ユーロ・ポップの広がりは、英米中心の音楽地図に大きな変化をもたらした。それは単なる流行ではなく、非英語圏においても世界市場に向けたポップスが生み出せる、新たな可能性を示していた。

実際、80年代に入ると、ネーナ(ドイツ)の「ロックバルーンは99」(1983)、ガゼボ(イタリア)の「アイ・ライク・ショパン」(1983)、a-ha(ノルウェー)の「テイク・オン・ミー」(1985)といった楽曲が、国境を越えて広く受け入れられていくことになる。

「99 Luftballons」NENA
「I Like Chopin」Gazebo
「Take On Me」a-ha

そして日本では、90年代に「ユーロビート」と呼ばれる大衆的なダンス・ミュージックが独自の発展を遂げ、広く親しまれることとなった。

70年代後半のヨーロッパで起こったこの変化は、派手なムーブメントとして語られることは少ない。けれども、ポップスはどこからでも生まれ、どこへでも届く――そんな現在では当たり前になった無国籍的な感覚は、この時代にすでに形をあらわし始めていた。

…to be continued