…to be continued
ロック・ヒロインの誕生(1973‐80年)
1970年代前半、ロックの舞台で女性が立つ役割には、まだ偏りがあった。ジャニス・ジョプリンやグレイス・スリックといった先駆者が道を拓いていたものの、圧倒的な歌唱力で観客を魅了するタイプのシンガー、あるいは繊細な感情を歌に託すシンガーソングライターといった捉え方が主流で、主体的にバンドの前線に立つ存在は、まだ少数派にとどまっていた。
そんな中で、自ら楽器を手にロック・バンドの最前線に立ったのが、1973年に「キャン・ザ・キャン」でブレイクしたスージー・クアトロだ。黒いレザーのジャンプスーツに身を包み、小柄な身体でベースを抱えて演奏する姿は、当時のステージでは異色の存在だった。
彼女自身「"女がベースを持ってロックをやるなんて"とよく言われたわ。だから余計に燃えたの」と語っている。グラム・ロックの華やかさとハードロックの勢いを兼ね備えたサウンドは、多くの女性ロッカーに影響を与えることとなった。
その流れを継いだのが、1976年に登場したザ・ランナウェイズだった。平均年齢16歳。荒削りな演奏ながらもストレートなビートが印象的で、代表曲「チェリー・ボンブ」は本国以上に日本で大きな反響を呼んだ。プロデューサーのキム・フォウリーが後に語ったように、彼女たちの魅力は技術よりも、生々しいエネルギーだった。
ステージでギターをかき鳴らすジョーン・ジェットは、この時まだ10代後半。のちに「アイ・ラヴ・ロックンロール」(1981)で世界的な成功を収めるが、その原型はこの時期に現れていた。
一方、ニューヨークのアンダーグラウンドでは、パティ・スミスが独自のロックを生み出していた。1975年のアルバム『ホーセス』の冒頭、「グローリア」で放たれる詩的な言葉と音の融合は、それまでのロックとは一線を画すエネルギーに溢れており、彼女は"ロックンロールは詩の延長にある"と語った。
フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスも、バンドの中心的存在として活躍し、彼女が紡ぎ出す幻想的な詩世界は女性の内面を繊細に描きつつ、ロックの力強さと見事に調和していた。
また、1978年に登場したケイト・ブッシュは自作・自演・映像演出までを手がけ、知的で幻想的な世界観を打ち出した。その創造力は、女性アーティストが自己表現を主体的に掌握していく制作スタイルの先駆となった。
NME(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)誌などの音楽メディアでは、こうした女性ロッカーたちを"性別を超えた個性で勝負する表現者"として捉える声もあった。
そして、彼女たちのスピリットは、さらに新しい世代へと受け継がれていく。毒のあるパンクをポップに包んだブロンディのデボラ・ハリー、プリテンダーズを率いるギタリスト、ソングライターとして強固な存在感を放ったクリッシー・ハインド、そして力強いボーカルでロック・シーンの第一線に立ったパット・ベネター──彼女たちは80年代初頭から中盤にかけて、性別を強調することなく、ロック・ミュージシャンとしての立ち位置を確立していった。
彼女たちの活躍は、のちのロック・シーンをより拡がりのある文化へ発展させる大きな足がかりとなり、現代のジェンダー平等や多様性の意識にもつながる重要な先駆けとなった。