…to be continued
サザン・ロックとスワンプ・ロック ― 南部の誇りとブルースの炎(1969‐77年)
1960年代末、アメリカ南部では新たなロックの流れが生まれつつあった。西海岸のカントリー・ロックがフォークの温もりを受け継いでいたように、南部の若者たちはブルースやR&B、そして教会で触れたゴスペルの響きをロックに溶けこませ、湿った風と土の匂いの中で新たな音楽を創り出そうとしていた。
この動きの中心にいたのがオールマン・ブラザーズ・バンドだった。デュアンとグレッグの兄弟を中心に1969年に結成され、ブルースを基調にしながらもツイン・ギターによるアンサンブルにジャズの自由さを取り込んだ。
1971年のライヴ盤『アット・フィルモア・イースト』では、「ウィップイング・ポスト」「エリザベス・リードの追憶」などで長尺の即興演奏を展開し、南部のバンドとして独自の位置を確立した。
デュアン・オールマンが1971年に24歳で亡くなり、続いてベーシストのベリー・オークリーも翌年に亡くなるという悲劇に見舞われながらも、残されたメンバーは『Brothers and Sisters』(1973)で活動を継続し、大きな成功を収めた。
こうしたサザン・ロック特有の力強い響きの背景には、アラバマ州の聖地マッスル・ショールズの存在がある。そこには「スワンパーズ」と呼ばれる白人の職人演奏家集団がおり、彼らは黒人ソウル歌手のバックで、ロックとR&Bが溶け合った土着的なサウンドを創り上げていた。
若き日のデュアン・オールマンもこの地でセッション・ギタリストとして修行し、ソウルの真髄を吸収している。この「人種を超えた音楽の交差点」が生み出した濃密な空気感は、同じ頃にフロリダ州ジャクソンビルから登場したレーナード・スキナードも共有していた。
ロニー・ヴァン・ザントの力強い歌声と、荒削りな三本のギターが織りなすレーナード・スキナードのサウンドは、労働者階級の誇りと土地への愛情を象徴するものだった。彼らは自らの代表曲「Sweet Home Alabama」の中で、マッスル・ショールズのミュージシャンたちへの敬意を歌った。
1977年、飛行機事故によってロニー・ヴァン・ザントをはじめメンバー数名が命を落としたが、その魂はサザン・ロックの象徴として今も息づいている。
南部の熱気はさらに広がり、ルイジアナの"スワンプ・ロック"とも共鳴していく。ルイジアナ州出身のトニー・ジョー・ホワイトが歌う「Polk Salad Annie」(1969)には、湿地帯の香りと泥臭いグルーヴが息づいており、サウスカロライナ州出身のマーシャル・タッカー・バンド「Can't You See」(1973)には、カントリーとブルースが溶け合う南部の情景が刻み込まれていた。
また、ニューオーリンズ出身のドクター・ジョンは「Right Place, Wrong Time」(1973)でファンクとヴードゥー的な色彩を融合させ、南部音楽特有の妖しい熱気を世界に伝えた。
オクラホマ出身でロサンゼルスを拠点に活動したレオン・ラッセルも、スワンプ・ロックの精神を体現したひとりだった。彼は、ブルース、ゴスペル、カントリーを自在に取り込み、「Delta Lady」(1969)などで南部音楽の懐の深さを示した。
さらに西海岸では、ローウェル・ジョージ率いるリトル・フィートが「ディキシー・チキン」などでスワンプとニューオーリンズ・ファンクを洗練させ、南部の音楽を都市的な感覚で再生してみせた。
カントリー・ロックがアメリカ人にとっての内面の旅を描いた音楽だったとすれば、サザン・ロック、スワンプ・ロックは土地に根ざし、人々の日常生活や風土をそのまま映した音楽だった。マッスル・ショールズをひとつの源流として、ソウルやファンクまでも飲み込んだそのサウンドは、今もアメリカの音楽史の底流に力強く脈打っている。