カントリー・ロック ― アメリカの原風景(1968‐74年)

1960年代の終わり、ロックは大きな岐路に立っていた。サイケデリックの熱が冷め、プログレッシブ・ロックが未知の可能性を開拓し始めていた頃、まったく違う方向へと向かう動きが生まれていた。

電気的な音から距離を置き、カントリーやブルーグラス、フォークの素朴な響きを抱き直す――それが、カントリー・ロックだった。

この流れを大きく押し広げたのが、バーズの『ロデオの恋人』(1968)だった。グラム・パーソンズが加わったこのアルバムでは、「ヒッコリー・ウィンド」や「ユー・エイント・ゴーイン・ノーホエア」に代表されるように、スティール・ギターの響きがロックとカントリーの情感を融合させていた。

「You Ain't Going Nowhere」THE BYRDS

また、バーズの元メンバー、ジーン・クラークは、ブルーグラス奏者ダグ・ディラードと組んでディラード&クラークを結成。当時、日本盤は発売されなかったが『The Fantastic Expedition of Dillard & Clark』(1968)に収められた「Train Leaves Here This Morning」や「Through the Morning, Through the Night」など、フォークの繊細さとカントリーの素朴さを自然に融合させた響きは、のちのウェストコースト・サウンドへ影響を与えていく。

「Train Leaves Here This Morning」Dillard & Clark

同じ頃、モンキーズの元メンバー、マイケル・ネスミスも、カントリー・ロックの道を歩み始めた。もともとテキサス出身でカントリー音楽に強い愛着を持っていた彼は、後年「ずっとカントリー・ミュージックをロックと結びつけたいと思っていた。モンキーズではそれを完全にはできなかったが、次の道への準備になった」と語っている。

「Joanne」Michael Nesmith · The First National Band

そして、グラム・パーソンズは、クリス・ヒルマンとともにフライング・ブリトー・ブラザーズを結成。「クリスティーンズ・チューン」や「ホット・ブリトウ#1」には、カントリーの哀愁とロックの軽やかさが溶け合っている。

パーソンズは、カントリー、ロック、ソウル、ゴスペルといったジャンルを越え、アメリカ音楽の魂をひとつにしたいという願いから"コズミック・アメリカン・ミュージック"と呼んだ。

「Christine's Tune」Flying Burrito Brothers

同じ頃、ポコが登場する。リッチー・フューレイ(元バッファロー・スプリングフィールド)を中心に結成された彼らは、スティール・ギターを取り入れつつも明快なリズムとコーラスを重視し、「ピッキン・アップ・ザ・ピーセズ」(1969)や「グッド・フィーリン・トゥ・ノウ」(1972)で、カントリー・ロックをよりポップで洗練された形に押し広げた。彼らのスタイルは、のちにイーグルスへと受け継がれ、ウェストコースト・サウンドの礎となった。

「Pickin' Up the Pieces」Poco

一方、南部の泥臭いルーツを息づかせていたのが、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)。サンフランシスコ出身ながら、彼らの音楽にはミシシッピ川流域の湿地帯を思わせるスワンプ感覚があり、「Born on the Bayou」や「Green River」「Lodi」には、アメリカの地方都市に息づくリアリティと哀愁が刻まれている。

「Green River」Creedence Clearwater Revival

カントリー・ロックが描いたのは、都会と田舎、過去と未来のあいだで揺れるアメリカ人の心そのものだった。アメリカの原風景が刻み込まれたカントリー・ロックは、明確なジャンルとしては次第に姿を薄めていくことになったが、決して衰退したわけではない。

その精神はアメリカ音楽の土台に溶け込み、シンガー・ソングライターたちの内省的な歌や、AORの柔らかな響き、あるいは、後年のオルタナティヴ・カントリーへと受け継がれていくこととなった。

…to be continued