アメリカン・ニューシネマとロック ― 若者の夢と現実の境界(1969‐72年)

1969年、ウッドストックで"愛と平和"の理想が頂点に達したロックは、同年12月の"オルタモントの悲劇"―ローリング・ストーンズの演奏中に観客が死亡した事件―によって、"カウンターカルチャーの終焉"を、世界の人々に感じさせることとなった。

また、ロンドンのアップル・ビル屋上で、ビートルズが「ゲット・バック」や「ドント・レット・ミー・ダウン」を演奏したゲリラ・コンサートは、60年代を駆け抜けた「夢の終章」として後々まで語り継がれることとなる。

この時期を境に、ロックが抱いてきた「世界を変えられる」という共同体としての理想は、次第に"個の声"へと姿を変えていった。そして、そうした理想の終わりを見つめる動きは、映画の世界でも現れていた。

『イージー・ライダー』(1969)のオープニング、ステッペンウルフの「ワイルドでいこう」が響きわたる。ハーレーにまたがり、自由を求めてアメリカ西部から南部へと旅する二人の放浪者は、その果てで暴力と死に直面する。衝撃的なラストシーンは、ロックが夢見た「自由」と「共同体」の神話が、現実の中で崩壊することを暗示していた。

「Born To Be Wild(ワイルドでいこう)」Steppenwolf

60年代末期から70年代初頭にかけて次々と制作された "アメリカン・ニューシネマ"と呼ばれる作品群は、旧来のヒーロー像を壊し、敗北や孤独を抱えた若者たちの姿を描いたものが多かった。そして、映画の中で流れるロックやフォークは、単なるBGMではなく、時代の不安そのものを語る"証言"となっていた。

「真夜中のカーボーイ」(1969)では、オープニングに流れるハリー・ニルソン「うわさの男」が都会の孤独と挫折を代弁した。

映画「真夜中のカーボーイ」予告篇

「いちご白書」(1970)では、CSN&Yの「ヘルプレス」や「僕らの家」などが学生たちの祈りと敗北を訴え、フォーク・ロックの理想が映画の中で現実と向かい合った。

映画「いちご白書」予告篇

「バニシング・ポイント」(1971)は、ベトナム帰還兵で元警官・元レーサーの男がアメリカ西部を無秩序に疾走するロードムービー。デラニー&ボニーやマウンテンなど、多彩なアメリカン・ロック、ブルースロックが、当時の体制への不信や喪失感を象徴し、多くの若者の共感を得た。

映画「バニシング・ポイント」予告篇

また「ハロルドとモード」(1971)は、同じ時代の空気を背景にしながらも、暴力や挫折ではなく〈生と死〉をめぐる静かな寓話として異彩を放った。キャット・スティーヴンスの歌が、死を見つめる青年と老女の奇妙な愛を優しく包み込み、理想が失われた時代の"小さな再生"を歌い上げていた。

映画「ハロルドとモード」予告篇

こうした作品群に共通していたのは、「夢の終わりを直視するまなざし」だった。ベトナム戦争、キング牧師の暗殺、ニクソン体制、若者の無力感。アメリカは理想の光を失い、映画も音楽も現実を直視せざるを得なくなっていた。

当時の若者たちの共感を得たアメリカン・ニューシネマとロックは "終わりゆく青春"の象徴であり、再生や夢を信じることが難しくなった世代の孤独な祈りだった。やがて、その祈りは、70年代初頭から中期にかけて、ギター一本で自らの心情を素朴に語ろうとするシンガー・ソングライターたちへ受け継がれていくことになる。

…to be continued