…to be continued
ブラス・ロックの誕生 ― ジャズとロックの融合文化(1969–72)
1960年代末、ロックがブルースやフォークといったジャンルの枠を越えて拡張していく中、アメリカではホーン・セクションを軸にした新しいサウンドが生まれていた。
ジャズのアレンジとロックのビートを融合させた「ブラス・ロック」。その原型を築いたのが、アル・クーパー率いるブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)だった。クーパー脱退後、デイヴィッド・クレイトン=トーマスを迎えたバンドは、アルバム『血と汗と涙』(1969年)で大きく飛躍。「スピニング・ホイール」「ユー・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー」「ホエン・アイ・ダイ」がそろって全米トップ10入りし、アルバムはグラミー賞を受賞した。クレイトン=トーマスは「ギターよりホーンが前に出るロック、それだけで人々は驚いた」と語っている。
同時期に登場したシカゴ・トランジット・オーソリティ(のちのシカゴ)は、より構築的なアプローチで新しい地平を拓いた。ロバート・ラムの知的なソングライティングと、ジェイムズ・パンコウの緻密なホーン・アレンジが見事に融合し、「ビギニングス」「いったい現実を把握している者はいるだろうか?」といった楽曲は、ポップスとアートロックの境界を軽やかに越えていった。ラムは後年、「ホーンを使ってビートルズの"三本のギター"を拡張したかった」と語っている。
この潮流はさらに広がり、チェイスの「黒い炎(ゲット・イット・オン)」(1971年)、アイダス・オブ・マーチの「ビークル」(1970年)など、トランペットの咆哮とギターリフがせめぎ合う快楽主義的なブラス・ロックを生んだ。
1970年代に入ると、ブラス・ロックのサウンドは、スライ&ザ・ファミリー・ストーン「スタンド!」やタワー・オブ・パワー「ホワット・イズ・ヒップ?」のような黒人アーティストたちのファンク・ロックと呼応しはじめる。
白人がジャズの知性を求めたブラス・ロックと、黒人がロックの爆発力を取り込んだファンク・ロック――両者は別々の道を歩みながらも、リズムとホーンを主役にしたアンサンブルという一点で、時代の空気を共有していた。
そして70年代半ばには、アース・ウィンド&ファイアがファンクの熱気にジャズ的ホーンを重ね、スティーリー・ダンが精緻なブラス・アレンジをポップ・ミュージックに導入した。さらにドゥービー・ブラザーズがロックにソウルの感覚を取り込むと、ブラスとリズムの融合はAORやフュージョンの洗練されたサウンドへと結実していく。
ブラス・ロックは、ロックの拡張期に生まれた数ある実験の中でも、特に豊かな成果を残した潮流だった。ホーンの咆哮はロックに構築美を与え、ジャズに新しい聴衆をもたらした。そのサウンドは、音楽がジャンルの壁を越えて歩み寄っていた時代の熱気を、今も鮮やかに伝えている。