ビートルズの解散―四人の旅の終わりとロックの分岐点(1969‐70年)

1970年5月、アルバム『レット・イット・ビー』が発売された。だがその録音(ゲット・バック・セッション)は前年1月に終えられており、同年秋にはジョンがメンバーに脱退を伝えていた。当時、公表はされなかったが、バンドの実質的な終焉はその時点で訪れていた。

ゲット・バック・セッションの最終日、1969年1月30日。ロンドンのアップル本社屋上に突然、四人が姿を現した。「ゲット・バック」や「ドント・レット・ミー・ダウン」などを演奏した "屋上コンサート"は、彼らが公の場で共に演奏した最後の瞬間となる。寒風の中で笑い合うメンバーの姿には、かつての連帯の名残があり、同時にその終わりを見届けるような静かな寂寞が漂っていた。

「Get Back」The Beatles (Rooftop Concert)

1970年4月10日、ポールがソロ・アルバム『マッカートニー』の発売に際し、質疑応答形式のプレス資料でバンド活動の終了を示唆したことが、事実上の脱退表明となった。そのニュースは世界中に衝撃を与え、以後、四人はそれぞれの"個"として歩み始めた。

ジョン・レノンは「インスタント・カーマ」で、行動と意識の覚醒をうながす鋭いメッセージを放ち、続くアルバム『ジョンの魂』では、名声や神話から解き放たれた素の自分をさらけ出した。そして翌年の「イマジン」で、個の解放から普遍的な祈りへと歩みを進めていく。

「Instant Karma!」John Lennon

ジョージ・ハリスンは三枚組アルバム『オール・シングス・マスト・パス』からのシングル「マイ・スウィート・ロード」を世界的にヒットさせ、リンゴ・スターはスタンダード集『センチメンタル・ジャーニー』(1970年)を発表したあと、翌1971年には、ジョージのプロデュースによる「イット・ドント・カム・イージー」でソロ・アーティストとしての再出発を果たした。

「My Sweet Lord」George Harrison
「It Don't Come Easy」Ringo Starr

ポール・マッカートニーは自宅録音によるアルバム『マッカートニー』で独自の音を模索し、翌1971年、妻リンダとの共作によるシングル「アナザー・デイ」は、実質的なソロ・デビュー曲として世界的ヒットを記録した。

「Another Day」Paul & Linda McCartney

ビートルズの解散は決裂であると同時に、四人がそれぞれの創造力を取り戻す再生の契機でもあった。そして、その空白を埋めるように、ロックの世界は急速に枝分かれしていく。

イギリスでは、ピンク・フロイドやキング・クリムゾン、イエスやエマーソン・レイク&パーマーなどに代表されるプログレッシヴ・ロックが構築美と技巧の極致を追い求め、レッド・ツェッペリンやブラック・サバスといったバンドがハードロックの原型を築いていた。

アメリカでは、キャロル・キングやジェイムス・テイラーらのシンガーソングライターたちがパーソナルな心情を歌い、CSN&Yに象徴されるフォーク・ロックが"共同体の夢"を歌い継ぎ、さらに南部では、オールマン・ブラザーズ・バンドをはじめとするグループがブルースの炎を再燃させた。

同時に、シカゴやブラッド・スウェット&ティアーズに代表される"ブラスロック"が登場し、ジャズの知性とロックのエネルギーを融合させた新しいバンド・サウンドを提示した。

また、デヴィッド・ボウイやT・レックスは、ロックを新たな自己演出の場へと変えていった――多様な可能性が一斉に芽吹いたその光景は、ビートルズ以後のロックが"多極化の時代"に入ったことを象徴していた。

ビートルズを筆頭として開拓されてきたロックの多様な可能性が、彼らの解散を機に拡散し、世界のあちこちで新たな芽として息づき始めた。ロックは、もはや一つの理想を共有する音楽ではなく、無数の個が自由に語り出す表現の時代へと踏み出していた。

…to be continued