…to be continued
ウッドストックが見せた"音楽の理想郷"(1969年)
1969年8月、アメリカ・ニューヨーク州ベセルの牧場に40万人の若者が集まった。チケット制のはずが入場ゲートは崩壊し、会場は"フリーコンサート"と化した。大雨でステージはぬかるみ、電気も途切れがち。だが誰も暴れず、食べ物を分け合い、ただ音楽に身を委ねていた。ウッドストックは、混乱の中に"平和"を見た3日間だった。
その熱狂を記録したのが、翌年公開されたドキュメンタリー映画「ウッドストック/愛と平和と音楽の3日間」だった。監督はマイケル・ウォドレー。編集には、当時27歳のマーティン・スコセッシも参加しており、3時間を超える映像で音楽と時代の鼓動を世界に伝えた。
ジョーン・バエズが夜空の下で「ジョーに捧げる歌」を静かに歌い、透き通る歌声が反戦の祈りとなった。サンタナは「ソウル・サクリファイス」で熱狂を呼び、無名のバンドが一夜にして伝説へと変わった。
(live at the Woodstock Festival, 1969)
(live at the Woodstock Festival, 1969)
ジョー・コッカーが「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」を絶唱し、スライ&ザ・ファミリー・ストーンの「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」「アイ・ウォント・トゥ・テイク・ユー・ハイヤー」は夜明けを照らす叫びとなり、テン・イヤーズ・アフターの「アイム・ゴーイング・ホーム」はロックの爆発そのものだった。
(live at the Woodstock Festival, 1969)
(live at the Woodstock Festival, 1969)
(live at the Woodstock Festival, 1969)
そして最終日の朝、嵐の後の静寂を切り裂いたのがジミ・ヘンドリックスだった。彼が奏でた「星条旗よ永遠なれ」は、歪んだフィードバックと爆撃音のようなギターで、戦争と自由を同時に問いかける音だった。あの演奏こそ、ウッドストックの象徴といえる。
映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の3日間』は1971年に日本でも公開され、ロック・ファンの間で衝撃をもって迎えられた。
はっぴいえんどの細野晴臣は「音楽がこんなに自由でいいのかと思った」と後年語り、吉田拓郎は「自分たちもあの舞台に立ちたいと思った」と回想している。
同じ頃、日本各地の若者たちもその精神に触発されていた。1970年、岐阜県中津川で開かれた「全日本フォークジャンボリー」(のちの「中津川フォークジャンボリー」)は、まさに"日本のウッドストック"を目指した試みだった。高石ともや、中川五郎、岡林信康らが出演し、3日間にわたる野外フェスという形そのものが、アメリカのウッドストックに共鳴していた。
(中津川フォークジャンボリー 1970年8月8日)
さらに1974年、内田裕也は「ロックにもそのスピリットを」として「ワンステップ・フェスティバル」を福島で開催。フォークとロック、ふたつの系譜が、ウッドストックという原点から枝分かれしながら、日本の音楽フェス文化を形づくっていった。
一方、ジョニ・ミッチェルはフェスに参加できなかったが、テレビ報道を見て「ウッドストック」を書いた。CSN&Yでも広く知られているこの歌の「私たちは星の粉から生まれ、そこへ帰るのだ」という一節は、あの時代の理想と孤独を謳いあげている。
半世紀を経た今、ウッドストックはもはや伝説というよりも、問いのように残っている。あのとき、音楽は本当に世界を変えられたのか――泥と雨の中で鳴り響いたギターの残響は、消えることなく、次の世代へと受け継がれている。