…to be continued
"ハードロック"の誕生(1968‐69年)
1960年代後半、ロックは青春と夢想の音楽から、より肉体的で爆発的な表現へと進化していった。その変化を象徴するのが"ハードロック"の誕生だ。だが、それは後から与えられた呼び名だった。
その発端のひとつとして考えられるのは、ロンドンのブルース・シーンだ。ヤードバーズやジョン・メイオールのもとで腕を磨いたエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジらが、黒人ブルースの泥臭い響きを、アンプと歪んだギターで増幅し、より攻撃的で硬質なサウンドへと押し上げた。
1966年に結成されたクリームは、ジャズ的なドラムと重厚なベース、爆音ギターの三位一体でブルースを巨大化させた。「アイ・フィール・フリー」や「サンシャイン・ラヴ」では、ジャック・ブルースの唸るベースとジンジャー・ベイカーのドラムが絡み合い、クラプトンのギターがその上を切り裂くように走った。
ジャック・ブルースは「ステージで音が互いに押し合う感覚がたまらなかった」と語り、クラプトンも「ブルースをもっと強く、もっと遠くまで響かせたかった」と振り返っている。
1967年、ジミ・ヘンドリックスが登場すると、ロックの常識は一変した。デビューアルバム「アー・ユー・エクスペリエンスト?」に収められた「パープル・ヘイズ」や「フォクシー・レディ」は、ワウペダルやフィードバックを駆使した新しいギターサウンドで、電気の奔流そのものだった。
伝えられるところによれば、スタジオで初めてフィードバックを試したとき、彼はその音を自在に操り、周囲のエンジニアたちは息をのんだという。ウッドストックでのアメリカ国家「星条旗」は、もはや伝説的な演奏だが、ヘンドリックスは後に「ギターで空気を切り裂きたかった」と語っている。
一方、アメリカ西海岸ではブルー・チアーが登場する。1968年のアルバム「ヴィンスバス・エラプトゥム」に収められた「サマータイム・ブルース」は、エディ・コクランのオリジナルを荒々しく再構築したものだった。ギターとベース、ドラムが壁のようにぶつかり合い、その音量は当時のPAシステムの限界を超えていた。
ベーシストのディク・ピーターソンは「アンプのつまみを10に上げた瞬間、世界が変わる」と語った。評論家たちは、この轟音を"ハード・ロック"の典型とみなし、この言葉が批評の現場に浸透していった。
1968〜69年、ロンドンではレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ブラック・サバスが次々に姿を現す。ツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」や「幻惑されて」では、ジミー・ペイジのリフが鋭く刻まれ、ロバート・プラントのヴォーカルが炎のように絡みついた。
1968〜69年に結成されたディープ・パープルは、70年のアルバム「イン・ロック」でクラシックとブルースの融合を図り、1969年に録音され1970年に発表された「黒い安息日」では、不吉なトライトーンのリフが"ヘヴィ・メタル"の原型を生み出した。
ベトナム戦争、学生運動、公民権運動――社会が軋みを上げるなかで、若者たちはステージの爆音に身をゆだね、現実の不安を吹き飛ばした。そして、ラジオやライブハウスで流れる"ハードロック"の音は"音楽による解放"の象徴となっていった。