…to be continued
アルバム革命 ――「サージェント・ペパーズ」の登場(1967-68年)
1967~68年は、ロックが「若者の娯楽」から「総合芸術」へと飛躍した時代だった。サイケデリック・カルチャーと録音技術の進歩が結びつき、アーティストたちはアルバム全体をひとつの物語や世界観で貫く「コンセプト・アルバム」という新しい表現に挑戦した。
その幕開けを告げたのが、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)だ。架空のバンド“サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド”によるショウという設定で、曲間のつなぎ方や音響処理など斬新なアイデアを盛り込み、アルバム全体をひとつの世界として提示した。
ポール・マッカートニーは後年、「ぼくらはもうツアーに飽きていた。スタジオを新しいステージにしようと思ったんだ」と語り、プロデューサーのジョージ・マーティンは「映画を撮るような感覚だった」と振り返っている。ロックを芸術へと高めたこの作品は、同時代の音楽家たちに多大な影響を与えた。
ビートルズが「サージェント・ペパーズ」を生み出す原点のひとつとなったのは、前年にビーチ・ボーイズが発表したアルバム「ペット・サウンズ」だった。この時期、ビートルズとビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは、お互い影響し合いながら作品を創り出していた。
後年、ブライアン・ウィルソンは「ビートルズのアルバム『ラバー・ソウル』を聴いて、自分もアルバム全体で自分の気持ちを表したいと思った」と語っており、アルバム「ペット・サウンズ」では「素敵じゃないか」「神のみぞ知る(ゴッド・オンリー・ノウズ)」「キャロライン・ノー」といった楽曲で、内面の孤独や憧れを繊細に描き出した。
ポールは後に「『ペット・サウンズ』を聴いたとき、僕らは完全にやられた」と回想している。スタジオを音の実験室に変えた「ペット・サウンズ」の創造性は「サージェント・ペパーズ」の礎となった。
「サージェント・ペパーズ」と同様に、アルバム全体を一つの組曲的世界として構成したのが、ムーディー・ブルースの「デイズ・オブ・フューチャー・パスト」(1967)。「夜明けの空」「永遠の昼下がり」「夕陽とたそがれ」「サテンの夜」など、朝から夜までの時間の流れをオーケストラとロックの融合で描き出し、後のプログレッシブ・ロックへの道を開いた。
一方、ザ・フーの「ザ・フー・セル・アウト」(1967)は、架空のラジオ番組の放送を模し、ジングルや広告と交錯させながら、メディア社会への風刺を展開した。
プリティ・シングスが発表した「S.F.ソロウ」(1968)は、一人の男の誕生から死までを描いたコンセプト・アルバムで、商業的な成功は得られなかったが“世界初のロック・オペラ”と評価する声もあり、のちのザ・フー「トミー」(1969)に影響を与えたと言われている。
スモール・フェイセズの「オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク」(1968)は、A面はユーモラスなポップ群、B面はナレーション入りの寓話「Happiness Stan」で構成。英国的ユーモアとサイケデリックの幻想を融合させた。
また、フランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インヴェンションの「ウィー・アー・オンリー・イン・イット・フォー・ザ・マネー」(1968)は、ヒッピー文化や商業主義に鋭くメスを入れた風刺的コンセプト・アルバム。ジャケットは「サージェント・ペパーズ」のパロディとしてデザインされたが、著作権上の問題で発売時には内側に印刷される形で差し替えられた。サウンド面でも編集・コラージュ・スプライス技法を駆使し、サイケデリック時代の理想主義を冷笑するような構成をとっている。収録曲「フラワー・パンク」は当時の“フラワー・ムーヴメント”を皮肉る一曲で、ビートルズが開いた「アルバム芸術」の扉を、真逆から風刺的に押し広げた作品といえる。
こうして1967~68年のロック界では、アルバムが単なる楽曲の集合ではなく、統一されたテーマ・構成・音響演出、さらにはジャケット・アートなども含めた総合芸術作品として成立し始めた。そして、こうした動きは、その後のプログレッシブ・ロックなどにも影響を及ぼし、ロックの歴史を大きく動かしていくことになった。