…to be continued
愛と平和の夏“サマー・オブ・ラヴ”(1967年)
1966〜67年ごろ、サンフランシスコは、まるで世界の中心が移動してきたかのような熱気に包まれていた。ヘイト・アシュベリー地区には長髪にビーズをつけた若者たちがあふれ、「愛と平和」「ドラッグと音楽」「反戦と自由」が混ざり合った奇妙に幸福な空気が流れていた。
「髪に花をさしてサンフランシスコへ行こう」と歌うスコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」は、全世界の若者を“愛の都”へと誘うテーマソングになった。
ラジオからはジェファーソン・エアプレインの「サムバディ・トゥ・ラヴ」や「ホワイト・ラビット」が流れ、若者たちはそのサウンドに酔っていた。白うさぎが導く幻想世界――それは、ドラッグとサイケデリック音楽が若者文化に大きな影響を与えた時代のテーマ曲だった。
グレイトフル・デッドのライブには、すでに後のような宗教的熱気が漂っていた。観客は音に身を委ね、ステージと客席の境界が次第に曖昧になっていった。彼らの初期代表曲「The Golden Road (To Unlimited Devotion)」(ファンの間では「黄金の道」と呼ばれることもある)は、まさにフラワームーブメントのアンセムだった。彼らを支持する熱心なファンたちは、後に“デッドヘッズ”と呼ばれるようになるが、その共同体的精神はすでにこの時代に芽吹いていた。
一方、モントレー・ポップ・フェスティバルでのジャニス・ジョプリンのステージは、ヒッピーたちが、夢見る“愛と平和”に浸るつもりでいた会場の空気を一変させた。ブルースに根ざした激烈な情念と、魂を震わせる圧倒的な声量で歌われる「ボール・アンド・チェーン」――生々しい哀しみを突きつけるような歌声に、多くの観客が言葉を失った。幻想的でサイケデリックな世界の中で、ジャニスは痛みを真っ直ぐに歌い上げる孤高の存在だった。
また、ロサンゼルスを拠点としていたドアーズは「ライト・マイ・ファイア」で、詩と官能を結びつけた暗黒のサイケを展開していた。ジム・モリソンの声は、光と影の狭間に立つアメリカの若者たちの祈りのようでもあった。
この年、ビートルズは後世に語り継がれる名作アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を発表し、世界中のロックが一斉にサイケ化していった。ロンドンとサンフランシスコ――海を越えた二つの意識革命が共鳴した時期だった。
グレイトフル・デッドの果てしないジャム、ジャニスの咆哮、ジェファーソン・エアプレインの幻覚的旋律、および「花のサンフランシスコ」のやわらかな光。金や地位など、どうでもいい。音楽と心のままに生きることがすべて――そんなことを多くの若者たちが真剣に考えた時代が、ほんの一瞬、確かに存在した。
1967年の“サマー・オブ・ラヴ”。それは、ほんのひと夏の夢だったが、音楽が世界を変えられると本気で信じられていた最後の季節だったのかもしれない。