メンフィスから世界へ(1953‐54年)

1953年の夏。高等学校を卒業したばかりの青年が、自分の歌を録音するためにメンフィスのサン・レコードを訪れると、受付の女性が訊いた。

「どんな歌が歌えるの?」 「なんでも歌えます」 「誰に似ている?」 「誰にも似ていません」

そんな会話が交わされたのち、青年は母親へのプレゼントとして録音したいと告げ、必要な金額を支払ってレコーディングを行った。彼が録音したのは「マイ・ハピネス」など数曲。録音は7インチのラッカー盤に直接刻む形で行われ、母親だけが聴く世界に一枚だけのレコード制作だった。その録音を聴いた青年は、ガッカリしたように言ったという。

「誰かがバケツのふたを叩いているみたいだ」

しかし、その翌年、青年はサン・レコードのオーディションに合格し、レコーディングセッションに臨むこととなった。休憩中、彼はふざけて1940年代の曲を即興で演奏した。すると、それを聴いていたサン・レコードの創立者サム・フィリップスが「今のをもう一度やってくれ」と声をかけた。その一言がきっかけとなり、正式に録音されたのが「ザッツ・オール・ライト」だった。

この青年――エルヴィス・プレスリーの歌声は、若者たちの心を強く揺さぶる力を秘めていた。「ザッツ・オール・ライト」は、瞬く間に地元のラジオ局で流れるようになり、やがてアメリカ全土を揺るがす大波となっていった。

「That's All Right」Elvis Presley

エルヴィスの登場は、それまでの音楽の形式やジャンルの境界を軽やかに飛び越え、新しい音楽の誕生として、多くの若者たちの心を震わせた。しかし、その波はまだ序章にすぎなかった。翌年、この衝撃を受け止め、さらに加速させる二人の若者が登場することになる。

To Be Continued...