ブリル・ビルディングとソングライターたち(1963‐64年)

1963年頃のアメリカの音楽シーンは、いわゆる「ブリル・ビルディング・サウンド」が頂点に達した時期だった。ニューヨーク、ブロードウェイと49丁目の角に立つブリル・ビルディングは、若き作詞作曲家たちが集まり、日々ヒット曲を生み出す音楽工房だった。

キャロル・キングは、後年、こんな風に当時をふり返っている。「私たちは毎朝9時に出社してピアノに向かい、午後にはデモ・テープを録っていた。窓の外では、どこかの部屋から別の曲が聞こえてきた。あのビルは、まるで音楽が湧き出る蜂の巣のようだった」。

キングとジェリー・ゴフィン夫妻は、この時代の象徴的なチームだった。彼らの「ロコモーション」リトル・エヴァ(1962)は全米1位を獲得し、「ワン・ファイン・デイ」ザ・シフォンズ(1963)や「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」ザ・シュレルズ(1960)など、ガール・グループ・サウンドを支えた。

「The Loco-Motion」Little Eva
「One Fine Day」The Chiffons
「Will You Love Me Tomorrow」The Shirelles

同じビルの別の部屋では、バリー・マン&シンシア・ワイルが「オン・ブロードウェイ」ザ・ドリフターズ(1963)を生み出していた。ブロードウェイに夢を抱いて上京した青年の現実と希望を描いたこの曲は、ティーン・ポップに社会的な視点を持ち込んだ画期的な作品となった。

「On Broadway」The Drifters

後年のインタビューでバリー・マンはこう語っている。「ブリル・ビルディングでは、曲を書くことが“仕事”だった。でも、僕にとってはそれが遊びでもあった。午前中に恋の歌を、午後には現実の歌を書く。そんな毎日だったんだ」。 また、シンシア・ワイルは「私たちはノンストップで曲を書き続け、デモを録音し、週6日働いていた」と語っており、二人で日々の制作に全力を注いでいたことがうかがえる。こうした創作活動は、後のザ・ライチャス・ブラザーズ「ふられた気持」(1964)など、より成熟した楽曲を生み出す土台となった。

「You've Lost That Loving Feeling(邦題:ふられた気持ち)」The Righteous Brothers

この時期、プロデューサーのフィル・スペクターはブリル出身の作曲家たちと関わりながら、“ウォール・オブ・サウンド”と呼ばれる壮大な音響を構築した。「ビー・マイ・ベイビー」(1963)ロネッツや「ダ・ドゥ・ロン・ロン(1963)クリスタルズなどが代表例だ。いずれもジェフ・バリー&エリー・グリニッチによる作品で、ティーン向けポップスにドラマチックな深みを与えた。

「Be My Baby」The Ronettes
「Da Doo Ron Ron」The Crystals

だが、1964年、ビートルズの登場は音楽界の潮流を一変させた。キャロル・キングは後に「彼らが自分の曲を自分で歌うのを見て、私もそうしたいと思った」と語っている。分業体制の終焉は、彼女自身がシンガー=ソングライターとして歩み出すきっかけとなった。

ブリル・ビルディングは、わずかな期間に栄えた音楽工房だったが、そこで職人たちが築いた豊かなメロディ、情感あふれる歌詞は、アメリカ音楽の礎となり、ソングライターたちの青春と創造の記憶として、今もポップス史に輝いている。

To Be Continued...