カリフォルニアの波と東海岸のフォーク文化(1962‐63年)

1962年、カリフォルニア州ハワソン。ブライアン・ウィルソンは、チャック・ベリーの「Sweet Little Sixteen」のメロディを口ずさみながら、ギターを手に友人たちと音を合わせていた。サーフィンの名所を知る友人に教えてもらったスポット名をメモに書き込み、歌詞にどう乗せるかを話し合い、誕生したのが「Surfin’ U.S.A.」だった。

「Surfin' U.S.A」The Beach Boys

やがてこの曲はチャートを席巻するが、メロディがあまりに酷似していたため盗作騒動に発展し、チャック・ベリーの名が作曲者として加えられることになる。とはいえ、そんなエピソードすらも、既存の曲の引用や模倣が半ば公然と行われていたロック黎明期の「大らかさ」を物語っている。

参考)「Sweet Little Sixteen」(1958)Chuck Berry

1960年代前半のカリフォルニアでは、都市化と郊外化の進行にともない、新しい中産階級のライフスタイルが広がっていた。ビーチ・ボーイズの音楽は、サーフィンや車、恋愛をテーマに、陽気で無邪気な若者の夢を象徴的に描き出し、「カリフォルニアの青春」という理想像を世界に発信した。そのサウンドと世界観は、やがてアメリカの若者文化を象徴するモデルとして広く受け入れられていく。 一方、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジやボストン近郊のケンブリッジでは、西海岸とは対照的に、学生や若いミュージシャンたちがギター片手に社会問題を歌に託していた。戦後の繁栄の影にある貧困や人種差別、冷戦の緊張などへの関心が高まり、音楽は娯楽にとどまらず「意見を表明する手段」となっていった。

その中心にいたのは、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリー、ピート・シーガーなどだった。彼らは伝統的なフォークソングの精神を受け継ぎながら、新しい世代の声として政治的・社会的メッセージを前面に押し出した。公民権運動の高まりとともに、彼らの歌は集会やデモの現場で自然に歌われ、時代を象徴するプロテスト・ソングとして世界に広まっていった。

「Blowing In The Wind 」Bob Dylan
「We Shall Overcome」Joan Baez
「If I Had A Hammer」 Peter, Paul and Mary
「Where Have All The Flowers Gone」Pete Seeger

こうして1960年代前半のアメリカは、西海岸のサーフ・ロック、東海岸のフォークなど、地域ごとに異なる青春と音楽の多層性を見せていた。それぞれの街で生まれた若者たちの歌は、やがて海を越え、互いに影響し合いながら、新しいロックのうねりを生み出していく。

To Be Continued...