伝説的な“誤審”と新たな創造(1963年)

――ギター・グループの時代は終わった。 1962年、デッカ・レコードのオーディションでビートルズを落としたプロデューサー、ディック・ローウの言葉は、のちに伝説的な“誤審”と語られることとなった。だがその翌年、同じデッカに加わった19歳の新人プロデューサー、アンドリュー・ルーグ・オールダムは、ローウの失策を取り返す役割を果たす。ロンドンのクラブで荒々しいブルースを演奏していた無名の若者たち――ローリング・ストーンズに目を留め、契約へと導いたのだ。

「Come On」The Rolling Stones on Ready Steady Go

1963年、ストーンズはチャック・ベリーの「Come On」でデビュー。オリジナル曲で快進撃を始めたビートルズとは対照的に、彼らは黒人ブルースの再解釈を出発点とし、不良っぽいイメージを打ち出した。 その背景には、ロンドンで芽吹いていたブルース・ブームがある。アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッド、ジョン・メイオールのブルースブレイカーズ、さらに64年にはヤードバーズがデビューし、シーンのうねりは一層強まっていく。

「Hoochie Coochie Man」Alexis Korner's Blues Incorporated
「CRAWLING UP A HILL」John Mayall&the Bluesbreakers
「I Wish You Would」The Yardbirds

こうした胎動の中で登場したストーンズは、ただの模倣者ではなく、アメリカ南部のブルースをイギリスの若者の感性で新たに創造する存在となった。ポップに世界を席巻したビートルズと、泥臭い反骨を武器にしたストーンズ。二つの道の対照は、60年代ロックの多様性を象徴している。デッカの失敗と成功、この偶然の分岐が、ロックの未来を大きく方向づける結果となった。

やがて1964年、ビートルズがアメリカに乗り込み、ストーンズが続いた。さらにデイヴ・クラーク・ファイヴ、アニマルズ、キンクス、フーといった新鋭が次々と海を渡り、アメリカの音楽界に大きな変革をもたらすことになる。

To Be Continued...