…to be continued
1972年:若者の感性が大衆音楽を変え始めた年
1972年の日本のポップスは、まだ歌謡曲が圧倒的な主役だった。しかしその一方で、若者たちの間で育まれてきた新しい感性が、少しずつ“お茶の間”へと広がり始めており、後にニューミュージックやアイドル時代へとつながる変化は、この年、静かに動き出していた。
その象徴となったのが、よしだたくろうの「結婚しようよ」だ。
当時のフォークには、学生運動の時代を背景にした社会派の歌もあれば、叙情的な作品も存在していた。また、テレビとは一定の距離を保つ若者文化というイメージもなお強かった。
しかし「結婚しようよ」は、そうしたフォークの枠を越えて、多くの人が自分自身の暮らしとして受け止められる歌だった。政治や社会ではなく、歌われているのは結婚を控えた若い男女の日常。親しみやすいメロディーと素朴な語り口は、それまでフォークに縁のなかった層にも届いていった。
さらに、この年の「旅の宿」でも、身近な情景を自然な言葉で歌う語り口が、新鮮な響きとして受け止められた。この頃から、生活感覚を歌うフォークが主流になり始めたと言えるだろう。
一方で、歌謡曲の世界も依然として圧倒的な人気を保っていた。この年の日本レコード大賞を受賞したのは、ちあきなおみの「喝采」。恋人の死を舞台の上で歌い続ける女性を描いたドラマティックな世界観と圧倒的な歌唱力は、“昭和歌謡”の強さを改めて印象づけた。
また、小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」、天地真理「ひとりじゃないの」、麻丘めぐみ「芽ばえ」なども大ヒットし、歌謡曲はなお国民的な娯楽の中心にあった。
特に南沙織、天地真理、小柳ルミ子は、後に「新三人娘」と総称される存在となり、新しい時代の女性スター像を作り上げていく。美空ひばりやザ・ピーナッツのような“憧れの大スター”とは少し異なる、親しみやすく自然体な存在感は、後のアイドル文化の原型とも言えるものだった。
中でも南沙織は、「純潔」などのヒットを飛ばし、若者たちの憧れの存在となっていく。沖縄返還が実現した1972年、沖縄出身の人気スターである南沙織の存在は、新しい時代の空気を感じさせるものでもあった。
さらにこの年は、郷ひろみが「男の子女の子」でデビューしている。後に1970年代半ばのアイドル黄金期へつながる流れは、すでにこの頃から形を見せ始めていた。
また、1972年にはキャロルが結成され、ライブハウスを中心に活動を始めている。矢沢永吉を中心とする彼らは、リーゼントに革ジャンというアメリカン・ロックンロールのスタイルを前面に押し出し、日本の若者たちに強烈なインパクトを与えた。
代表曲として知られる翌1973年の「ルイジアンナ」は、発売直後から爆発的な現象になったわけではないが、ライブでの熱狂と口コミによって支持を広げ、結果として大きなヒットへとつながっていった。彼らの荒々しい演奏と不良っぽい佇まいは、日本のロックに新たなイメージを持ち込んでいく。
1972年は、歌謡曲、フォーク、アイドル、ロックが、まだそれぞれ別々の世界として存在していた時代だった。しかし、その境界線は少しずつ揺らぎ始めていた。
フォークは若者だけの音楽ではなくなり、歌謡曲は若い感性を取り込み始め、テレビは新しいスターを次々に生み出していく。ロックもまた、後の熱狂へ向けて静かに存在感を増しつつあった。
次回は1971年へさかのぼり、日本のポップスが大きく姿を変える前夜の様子を探る。