…to be continued
1974年:心情を歌うポップスの広がり
この年は、後の日本の音楽界が大きく変わる予兆とも言える、二つの重要な出来事があった。
そのひとつは、井上陽水のアルバム『氷の世界』が見せたロングセラー現象だ。1973年末に発売されたこの作品は、1974年を通じて支持を広げ、後に日本初のアルバム売上100万枚突破作品となる。
それまでの日本のレコード市場では、アルバムはヒット曲を集めたものという印象が強かったが、『氷の世界』は、アルバム全体に漂う独特の空気感そのものが支持され、「アルバムを聴く」という楽しみ方を多くのリスナーに広めた。
井上陽水の歌には、それまでのフォークで唄われた「社会への直接的なメッセージ」とは異なるものがあった。
例えば初期の代表曲「傘がない」で、彼は社会的な事象よりも、自分自身の目の前にある現実で精一杯だという、都会に生きる若者たちの孤独、不安、倦怠感といった、極めて個人的で切実な思いを綴り、多くの共感を呼んだ。
そして、この年のもうひとつの重要な出来事は、吉田拓郎が森進一に「襟裳岬」を提供したことだった。
当時の森進一は、すでに演歌・歌謡曲を代表するスター歌手。一方の吉田拓郎は、若者文化を背景に支持を広げてきたフォークの旗手。今の感覚で見れば、少しも驚くようなことではないが、当時、“歌謡曲”の対極に位置していたとも言える“フォーク”出身のシンガーソングライターが、堂々と歌謡曲の世界へ入り込んだことは極めて異例だった。
「襟裳岬」は、その境界線を自然に越えてみせた。岡本おさみの抒情的な詞と、吉田拓郎による世代を超えて親しみやすいメロディーは、それまでの演歌的な情念とは異なる魅力を放っていた。
この曲は日本レコード大賞を受賞。翌年には、小椋佳作詞・作曲による布施明の「シクラメンのかほり」が大ヒットし、その後も吉田拓郎作詞・作曲、かまやつひろしが唄った「我が良き友よ」など、シンガーソングライターによる作品提供が歌謡界の中心へ浸透していく。
また、テレビの世界では、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎の“新御三家”や、山口百恵、桜田淳子、森昌子ら“花の中三トリオ”が人気を集め、アイドル文化は巨大なものになっていった。
さらに、フィンガー5の人気爆発もこの年を象徴する現象だった。前年の「恋のダイヤル6700」に続き、「学園天国」が大ヒットし、テレビ時代のポップスターらしい華やかさと、ジャクソン5を思わせるソウル/ファンク的な感覚を併せ持ち、それまでの日本の子供スター像とは異なる新鮮さを生み出していた。
その一方で、派手なスター性とは異なる、“個人の感情”をじっくり聴かせるタイプの音楽が、大衆的ヒットとして成立し始めており、グレープの「精霊流し」は、身近な死や喪失感を静かに歌い上げ、幅広い世代の共感を集めた。グレープにとって初の大ヒットとなったこの曲は、個人的な感情を率直に歌うことが、多くの人の心を動かす時代の到来を感じさせた。
また、小坂明子の「あなた」が大ヒットしたことも見逃せない。高校在学中の女性シンガーソングライターによる国民的大ヒットは大きな話題となり、「自作自演」のスタイルをさらに身近なものとして印象づけた。
「小さな家を建てて暮らしたい」という素朴で個人的な幸福感は、社会的メッセージ色の強かった初期フォークとは異なる、70年代的な内面志向を象徴していたとも言えるだろう。
一方、ロック色の強い曲にも存在感があった。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」は、泥臭さとユーモアを併せ持った独特のロックンロールで支持を集め、それまでの歌謡曲やフォークとは異なる魅力を放っていた。
1974年は、シングルヒットだけではなく、アルバム全体の世界観を味わう聴き方も広がり始めた年だった。アイドル文化が巨大な人気を集める一方で、シンガーソングライターたちは、それぞれ異なる形で「自分自身の言葉」を歌い始めていた。
次回は1973年にさかのぼり、若者たちの“日常”や“個人の感情”がリアルな言葉で歌われ始めた時代を振り返る。