1980年、ヒットチャートの変化――ニューミュージック隆盛のその先へ

1980年の年間ヒットチャートでは、シンガーソングライターやバンドの作品が並び、70年代に発展した“ニューミュージック”が主流の一角を占めるところまできていた。

1979年末にリリースされた久保田早紀の「異邦人」、クリスタルキングの「大都会」は80年にかけて広まり、歌謡曲とニューミュージックの中間に位置するようなサウンドが幅広い層からの支持を得た。

「異邦人」久保田早紀
「大都会」クリスタルキング

もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」は、ブルースやソウル的な要素を吸収したサウンドと迫力のある歌唱で、ジャンルの境界を軽々と飛び越え、大ヒットとなった。

「ダンシング・オールナイト」もんた&ブラザーズ

また、この時期、チャート上の大ヒットとはやや距離を取りながらも、ロックの表現領域を広げる動きも現れていた。RCサクセションは、その代表的な存在だ。この年にヒットとなった「トランジスタ・ラジオ」は、日常の風景や若者の感覚をストレートに切り取り、ポップでありながらも反抗的なニュアンスを含んだロック・ナンバーとして注目を集めた。

「トランジスタ・ラジオ」RCサクセション

一方、長渕剛の「順子」、海援隊の「贈る言葉」、オフコースの「さよなら」(リリースは79年末)といった、フォーク、ニューミュージック系の曲も多くの人々の胸をうち、後々まで広く親しまれる曲となった。

「順子」長渕剛
「贈る言葉」海援隊(TVドラマ「金八先生」主題歌)
「さよなら」オフコース

さらにこの年は、世代の移り変わりもはっきりとあらわれていた。山口百恵の「さよならの向う側」は引退と結びついてヒット。その一方で、松田聖子の「裸足の季節」が登場し、音楽シーンは新たな段階へと進みつつあった。

「さよならの向う側」山口百恵
「裸足の季節」松田聖子

この時期、日本のポップスに対するリスナーの価値観も大きく変わり始めており、前年頃から、80年代以降の音楽シーンに多大な影響を及ぼす新たな潮流が生まれていた。次回はその転換点を、79年にさかのぼって探る。

…to be continued