…to be continued
1981年:ヒット曲の多極化――ニューミュージックと歌謡曲の交差点
1981年は、ニューミュージック系、アイドル系、テクノ歌謡の先駆的作品、そして年間売り上げ二位となった「奥飛騨慕情」など、様々なジャンルの楽曲が互いにヒットチャートの上位を分け合い、いわば「多極化への過渡期」だった。
年間ランキングを振り返ると、寺尾聰の「ルビーの指環」、松山千春の「長い夜」、五輪真弓の「恋人よ」などが上位に並び"ニューミュージック"の商業的な定着を象徴している。
また、細野晴臣は歌謡曲の世界に電子音楽を積極的に導入し、軽快な電子音やリズムを取り入れたイモ欽トリオの「ハイスクール・ララバイ」は、当時としては珍しい電子音を多用したアイドルソングとして大ヒットとなった。
坂本龍一が関わった矢野顕子の「春先小紅」は、軽やかで跳ねるようなリズムと洗練された音作りによって、のちに本格化するテクノポップやシティポップ的感覚を先取りするものでもあった。
さらに、大瀧詠一はアルバム『A Long Vacation』でシティポップ的なサウンドを確立すると同時に、松田聖子の「風立ちぬ」などでも作曲を担当し、ヒットを生んだ。
テレビドラマやCMのタイアップによるヒット曲も数多く生まれていた。西田敏行のTVドラマ『池中玄太80キロ』挿入歌「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒットし、松任谷由実の「守ってあげたい」は、映画『ねらわれた学園』の主題歌として広く大衆に浸透した。
こうして、ニューミュージック系、アイドル系、演歌、テクノ歌謡など幅広いジャンルのヒット曲が、メディアをまたいで大衆に浸透し、多極化が進んだ――それが、この年の特徴的な動きだったと言えるだろう。
次回は、この動きの前段となる1980年にさかのぼり、ニューミュージック系の急成長やアイドル・歌謡曲の動向など、ヒット曲の多極化がどのように形づくられていったのかを探る。