…to be continued
1982年:日本のポップスに対するリスナーの意識変化
1982年は、歌謡曲の中にロックやニューミュージックが入り込み、音楽シーンが大きく動き始めていた。この年の様子を振り返ってみると、リスナーの意識にも変化があったように感じられる。
――「赤いスイートピー」もいいし「い・け・な・いルージュ・マジック」も気になる。そして、気がつけば「待つわ」を口ずさんでいる…
当時をリアルタイムで経験した人々は、様々なジャンルのヒット曲に対して、そんな聴き方をしていたのではないだろうか。この時期には、アイドル歌謡、ニューウェーブ的なポップス、素朴なフォーク――曲調や広まった背景などがまったく異なるものの、それらが特に区別されることなく、多くのリスナーたちに受け入れられるようになっていた。
さらに、この年のヒットチャートを振り返ると、「心の色」のようなニューミュージックと歌謡曲をブレンドしたような楽曲や、「聖母たちのララバイ」のようにドラマ性の強い歌謡曲、そして映画の世界観と強く結びついた「セーラー服と機関銃」など、前年からのロングヒットも含め、メディアやジャンルの違いを越えた多様な楽曲が違和感なく並んでいる。
一方で、「赤道小町ドキッ」のような軽やかなロック調のポップスや、AOR(Adult-Oriented Rock)的なバラード「YES MY LOVE」も存在感を示していた。
また、「北酒場」のように、ジャンルとしてはかなり離れた位置にある音楽も、日常的なヒット曲として同列に聴かれる時代だった。
曲の雰囲気も、作られ方も、歌われ方も、それぞれまったく違う――かつては、こうした曲には別々のリスナー層がいた。歌謡曲は歌謡曲、ニューミュージックはニューミュージック、ロックはロック。それぞれに違う聴かれ方があり、境界線が引かれていた。けれども82年には、そうした境界線を強く意識せずに聴くスタイルが徐々に広がり始めている。
音楽の聴き方が少しずつ変わり始めた――82年は、そんな節目の一年だったのかも知れない。では、その少し前、様々な音楽がそれぞれ別のジャンルとして意識されていた頃は、どんなふうに聴かれていたのか。次回は1981年の音楽シーンを見ていくことにしたい。