1987年:多様なメジャーシーンとインディーズ文化の芽生え

1987年のヒットチャートには、アイドル歌謡からロック/ポップスまで、多様なスタイルの楽曲が並んでいた。中森明菜「TANGO NOIR」、松田聖子「Strawberry Time」、少年隊「君だけに」といったアイドルのヒットに加え、徳永英明「輝きながら…」、TUBE「サマードリーム」、TM NETWORK「Get Wild」などが広く支持を集めていた。

「TANGO NOIR」中森明菜
「君だけに」少年隊
「サマードリーム」TUBE
「Get Wild」TM NETWORK

また、この時期には、安全地帯、佐野元春、松任谷由実、サザンオールスターズ、CHAGE and ASKA、オフコースなどがアリーナ規模のツアーを行い、ロック/ポップスのライブが大規模なエンターテインメントとして定着していった。

「じれったい」安全地帯
「緑の日々」オフコース
「Mr. ASIA」CHAGE and ASKA

そして、この年に人気のピークを迎えていたのがBOØWYだった。当時の音楽誌編集者は「BOØWYは一般のロックファンだけでなく、普通の音楽ファンを巻き込んだカリスマ的存在になった」と語っている。実際、彼らの成功をきっかけにレコード会社が次のBOØWYを探し始めたという。

「MARIONETTE」BOØWY

こうしたメジャーなヒットの陰で着実に勢力を伸ばしていたのが、インディーズのバンド文化だ。メジャーの制作体制やアイドル的な露出とは距離を置き、自主制作・ライブ主体のバンド活動が都市部の若者を中心に活発化していた。

THE BLUE HEARTSは1985年結成後、すでに下北沢のライヴシーンで熱狂的な支持を集めており、87年頃には「リンダリンダ」をライブで披露していた。BUCK-TICKも1987年に 自主制作EP『Hurry Up Mode』 を発表し、熱心なファンを獲得していた。

ライブハウスを拠点として、自主制作音源による独自の流通、音楽誌や口コミで広がるファンネットワーク――これらが1988年以降のバンドブームを支える土台となり、商業的にも文化的にも注目されるムーブメントを生みだしていく。

次回は1986年にさかのぼり、70年代に生まれて以来、広く定着していた「ニューミュージック」という言葉が消えていった経緯をふり返る。

…to be continued