…to be continued
1986年:「ニューミュージック」の終焉――「歌謡曲」との融合
1986年のヒットチャートでは、ロック、アイドル、アーティスト系ポップス、洋楽テイストのバンド・サウンドが同列に並び、「ニューミュージック」「歌謡曲」という区分は実質的に消えていた。
70年代後半から80年代初頭にかけて、松任谷由実、竹内まりや、財津和夫、井上陽水など"ニューミュージック"系のアーティストたちがアイドルに曲を提供し、歌謡界に新しい感覚を持ち込んだが、そうしたことは、80年代半ばには、ごく自然なこととなっていた。そして「歌謡曲」を支えていた作詞・作曲家たちも、AOR(Adult-Oriented Rock)やブラック・コンテンポラリーといった海外の音楽を吸収し、日本のポップス全体が大きく変化しつつあった。
一方、テレビを中心とした音楽シーンでは「おニャン子クラブ」の人気がピークに達していた。前年の「セーラー服を脱がさないで」などに続き、86年にはメンバーのソロや派生ユニットによるヒット曲が次々と生まれている。これらの楽曲は、テレビ番組やタイアップと結びつきながら広く支持を得ていた。
ダンス・ビートを前面に押し出した「CHA-CHA-CHA」石井明美のヒットも見逃せない。洋楽を真似ている感じではなく、最初からそのグルーヴでできている――そんな自然さがあり、こうした感覚は後のJ-POPへと結びついていく。
ロックやニューミュージック出身のアーティストたちが、もはや"異端"ではなく、メインストリームの中心に立っていたのもこの年の特徴だ。渡辺美里、レベッカ、KUWATA BANDなど、ロックやニューミュージックの出身者がメインストリームの真ん中で活動していた。
「ニューミュージック」と呼ばれた音楽が特別視されなくなっていったのは、衰退という意味ではなく、「ニューミュージック」が育んだ感性が「歌謡曲」文化と溶けあい、日本の音楽界全体に深く根を張ったと捉えるべきだろう。
次回は1985年にさかのぼり、「歌謡曲」と「ニューミュージック」の境界線が溶け合っていった過程を探っていく。