1989年:平成の幕開けに音楽界が迎えた転換点

1989年、昭和が幕を閉じ、平成が始まった。バブル経済は頂点を迎え、街は華やかな活気に満ちていた。この年、CDが急速に普及し、音楽メディアはアナログからデジタルへと大きく移行しつつあった。

音楽に対する価値観も大きく変わろうとしていた。その象徴とも言えるのが、2月にスタートした深夜番組『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称「イカ天」)だった。アマチュアバンドが週替わりで競い合うこの番組は、深夜枠にもかかわらず社会現象的な人気を呼び、FLYING KIDS「幸せであるように」、JITTERIN'JINN「にちようび」、たま「さよなら人類」(第36回参照)、BEGIN「恋しくて」(第36回参照)、など、多くのヒットを生みだしていく。

「幸せであるように」FLYING KIDS
「にちようび」JITTERIN'JINN

1960年代のエレキブームや1970年代のフォークブームとは異なり、イカ天は特定のジャンルに縛られず、コミカル、叙情的、実験的なバンドが続々と登場し、無名のバンドがメジャーな場へ踏み出す瞬間を、全国の視聴者が同時に見届けるという新鮮な音楽体験を生んだ。

一方、メジャーシーンではX JAPANが音楽番組などへの積極的な出演によって知名度を高め、シングルカットされた「紅」は彼らの代表曲となった。また、ユニコーンはユーモアを交えたエネルギッシュなサウンドで人気を得た。

「紅」X JAPAN
「大迷惑」ユニコーン

1989年、プリンセス プリンセスの「Diamonds(ダイアモンド)」の大ヒットは、女性がロックの中心に立つ時代を告げる象徴的な出来事だった。女性だけのバンドがチャートの頂点に立ったことは、当時としては画期的で、その成功は後のガールズ・バンドの活動の可能性を大きく広げた。

「Diamonds(ダイアモンド)」プリンセス プリンセス

ブラックミュージックやファンクの要素を取り入れたダンサブルな曲も広く支持を得た。久保田利伸「You were mine」、米米CLUB「FUNK FUJIYAMA」、無表情なパフォーマンスと打ち込み主体のサウンドで人気を集めたWink「淋しい熱帯魚」など、リズムと映像性を重視したサウンドが新たなポップスの方向性を示していた。

「You were mine」久保田利伸
「FUNK FUJIYAMA」米米CLUB
「淋しい熱帯魚」Wink

そして、美空ひばりの遺作「川の流れのように」は国民的な共感を呼び、壮大で普遍的なメロディは、昭和から平成へ、時代が移り変わっていく橋渡しとして全国に響いた。

「川の流れのように」美空ひばり

この年、日本のポピュラー音楽の呼び名にも変化が起ころうとしていた。1989年6月に開局したFM802(大阪)は、邦楽を「J-POP」と呼ぶ方針を打ち出す。それまで日本のポピュラー音楽は「歌謡曲」や「ニューミュージック」といった呼び名で語られてきたが、時代の空気はすでに新しい言葉を求めていた。

当初、「J-POP」という言葉は一部のFMリスナーの間で使われる程度のものだった。しかし後になって振り返れば、それは日本の音楽の捉え方そのものが変わり始めた、重要な転換点だったと言えるだろう。やがてこの言葉は全国へ広まり、日本のポピュラー音楽を示す新しい呼称として定着していくことになる。

昭和が終わり、平成が始まった1989年。それは、音楽のスタイルだけでなく、日本のポピュラー音楽の呼び方そのものが変わり始めた年だった。

次回は1988年にさかのぼり、バンドブーム前夜の様子を探っていきたい。

…to be continued