…to be continued
1993年:「J-POP」という言葉の普及
1993年は「J-POP」という言葉が一般にも意識され始めた年だった。もともとは、1988年に開局したFM局J-WAVEが、洋楽(Western Pop)と区別するために日本のポピュラー音楽を"Japanese Pop=J-POP"と呼び始めたのがきっかけとされる。しばらくは音楽業界の中で使われる略称にすぎなかったが、90年代初頭になると雑誌やテレビ番組でも使われるようになり、一般のリスナーにも次第に浸透していった。
そして、「J-POP」という言葉の普及は、リスナーの認識を大きく変えることにも繋がっていた。
それまで、日本の大衆音楽は「歌謡曲」と呼ばれてきたが、「J-POP」という言葉は、その枠組みを新しく塗り替えた。「歌謡曲」は"日本のテレビ・ラジオを中心とした芸能"というイメージを帯びていたのに対し、「J-POP」は"世界のポップカルチャーと並ぶもの"という認識を広め、やがて、洋楽・邦楽の境界を意識せずに音楽を楽しむ風潮が広がっていく。
この年のチャートを振り返ると、いまでも多くの人の記憶に残る名曲が並ぶ。CHAGE&ASKAの「YAH YAH YAH」はオリコン年間1位を獲得し、カラオケやライブで大合唱が起きるほどの人気を集めた。B'zは「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」で、90年代J-POPの王道とも言えるサウンドを決定づけた。
ZARDの「負けないで」は、透明感のあるメロディと前向きな歌詞が共感を呼び、ロングヒットを記録。箱根駅伝の1994年大会で再び脚光を浴びるなど、時代を超えて歌い継がれる存在となる。また、THE 虎舞竜の「ロード」は、旅立ちと別れをテーマにしたストーリー性のある歌詞が世代を問わず支持され、社会現象的なヒットを記録した。
一方で、サザンオールスターズの「エロティカ・セブン」や松任谷由実の「真夏の夜の夢」など、ベテラン勢の円熟した作品も健在。藤井フミヤの「TRUE LOVE」はTVドラマ「あすなろ白書」の主題歌として、90年代のドラマと音楽の結びつきを象徴する一曲となった。
1993年以降、「J-POP」という言葉の普及によって、邦楽に対するリスナーの意識は大きく変化していった。それは、ミュージシャンたちの創作にも影響を及ぼし、洋楽的なサウンドや洗練されたメロディを育むことへと繋がっていく。
次回は1992年にさかのぼり、バブル崩壊(91年)の影響を受けて、音楽界がどのように変化したか、その周辺を探っていく。