…to be continued
2000年:女性が自らをプロデュースする時代と多様化のはじまり
2000年のJ-POPは、CDがまだ何百万枚も売れる"最後の黄金期"でありながら、音楽の価値観が静かに変わりはじめた年だった。
それまでの女性シンガーは、男性プロデューサーの作る世界の中で表現することが多かったが、この年、女性アーティスト自身が「自分をどう見せるか」「どんな言葉で語るか」を決める時代が始まった。その象徴が、宇多田ヒカルと浜崎あゆみだった。
宇多田ヒカルはデビュー当初から作詞・作曲を自ら手がけていたが、「Wait & See〜リスク〜」では父・照實によるプロデュースのもとで、デジタルR&Bの洗練されたサウンドを自分の感性で設計した。
浜崎あゆみは、作詞だけでなく衣装、映像、メディア発言に至るまでを一つの世界観で統一し、「SEASONS」で感情の繊細さと再生の物語を自分の言葉で描いた。
こうした流れは、さらに広がり、倉木麻衣(1999年末デビュー)は「Love, Day After Tomorrow」や「Stay by my side」でR&Bを取り入れた都会的なポップスを提示、aiko「ボーイフレンド」は等身大の恋心を柔らかく描いた。また、椎名林檎「ギブス」は自分の痛みを赤裸々に表現し、J-POPに新しいリアリティをもたらした。
一方、男性陣やバンドも豊かな個性を放っていた。福山雅治は「桜坂」で普遍的な恋の風景を描いて世代を超えて愛され、B'zは「今夜月の見える丘に」で健在ぶりを見せた。また、ポルノグラフィティが「サウダージ」で新世代ロックの旗手として台頭した。
こうして2000年は、「自分で作り、自分で語る」時代の幕開けとなった。女性が自己プロデュースによって表現の幅を広げ、男性アーティストもジャンルの垣根を越えて個性を追求する――音楽の主導権が"制作者からアーティスト自身へ"と移りはじめた年だった
CDセールスのピークと、新しい価値観の芽吹き。デジタル機材やインターネット環境が整い始め、アーティストの発信力を高めた2000年は、21世紀のJ-POPを方向づける転換点となった。
次回は、多くのミリオンヒットが街にあふれていた1999年へとさかのぼり、J-POPが最も華やかで、同時に変化の予兆を孕んでいた時代を見つめ直してみたい。