音楽が死んだ日(1959年)

1959年2月3日、アメリカ・アイオワ州。ツアーバスの寒さと故障に耐えかね、バディ・ホリーは小型機をチャーターした。氷点下の夜、同行するのは二人の若きスター。ひとりは「ラ・バンバ」で全米を熱狂させたリッチー・ヴァレンス。もうひとりは「シャンティリー・レース」で人気を博したビッグ・ボッパーだった

「Everyday」Buddy Holly
「La Bamba」Ritchie Valens
「Chantilly Lace」Big Bopper

体調を崩していたボッパーは、もともと搭乗するはずだったホリーのバンドメンバー、ウェイロン・ジェニングスに座席を譲ってもらっていた。出発前、ホリーはジェニングスに軽く声をかけた。 「じゃあ、お前はバスか。凍えて死ぬなよ」 その言葉に、ジェニングスも冗談めかして返した。 「だったら飛行機が落ちちまえばいい」 ほんの一瞬の笑い話。しかし、それがホリーとの最後の会話になった。

小型機は夜の闇に舞い上がり、そのまま雪原へと墜落した。凍てつく大地に散った炎が、三人の命を瞬時に奪った。この悲劇は後に、アメリカのシンガーソングライター、ドン・マクリーンが1971年に発表した曲「アメリカン・パイ」で歌われることとなり、この歌詞にある「あの日、音楽は死んだ(the day the music died)」というフレーズから、人々はこの日を「音楽が死んだ日」と呼ぶようになった。

参考)「American Pie」 Don McLean

ホリーとの最後の会話を交わしたジェニングスは、70年代に「Luckenbach, Texas (Back To The Basics Of Love)」などのヒット曲を生みだし、2001年にはカントリーミュージックの殿堂入りを果たすことになる。

参考)「Luckenbach, Texas (Back To The Basics Of Love)」Waylon Jennings

しかし、彼は後々まで、ホリーの墜落に責任を感じていると繰り返し吐露し、苦しみ続けていたという。ホリーたちの事故の1年後、若きロックンローラー、エディ・コクランも交通事故で死亡し、ジェニングスは1960年代初頭、彼らに向けて「The Stage (Stars in Heaven)」を作詞して録音している。

参考)「The Stage (Stars In Heaven)」Waylon Jennings

1950年代末、初期ロックンロールを牽引したスターたちの突然の死は、大きな衝撃を人々にもたらした。しかし、それだけでなく、さまざまなトラブルも重なり、アメリカの音楽界は次第に変化の兆しを見せ始めていた。

To Be Continued...