…to be continued
シンセポップ革命とニュー・ロマンティックの夜明け(1979‐81年)
パンクは「誰にでもできる」と叫び、ポスト・パンクは「何をやってもいい」とその可能性を押し広げた。そして次に現れたのは、さらに過激な問いだった。
「そもそも、ロックにギターは必要なのか?」
70年代末、それまで一部の実験音楽家や大物ロック・ミュージシャンのものだったシンセサイザーは、以前より小型化・実用化が進み、若いミュージシャンたちにも新しい表現手段として使われ始めていた。
パンクが壊した「演奏の上手さ」という権威のあとには、「バンドとはこうあるべきだ」という常識そのものを疑う時代がやって来たのだった。
その革命の象徴となったのが、ゲイリー・ニューマンだった。ニューウェーブ系のバンド「チューブウェイ・アーミー」を率いていた彼は、録音中にスタジオにあったミニモーグに強く惹かれ、ギター中心だった自らの音楽を大胆に作り替える。
1979年に発表した「アー・フレンズ・エレクトリック?」は、テクノロジーによって変質した近未来の人間関係を描き、6分近い異色のシンセ主体楽曲でありながら全英1位を獲得した。
そしてソロ名義となったゲイリー・ニューマンは、その機械的な美学をさらに研ぎ澄ませていく。
無機質なシンセサイザーの反復、機械のように正確なビート、感情を抑え込んだような歌声。1979年の「カーズ」は、未来を思わせる冷たいサウンドにもかかわらず世界的なヒットとなり、シンセサイザーがロックやポップスの主役になり得ることを広く印象づけた。
ニューマンの音楽には、SF映画のような孤独と疎外感が漂っていた。人間と機械の境界が曖昧になっていく時代への不安。それは、80年代という新しい時代の空気を先取りしていた。
一方、イングランド北部シェフィールドでは、さらに急進的な若者たちが現れる。ヒューマン・リーグだ。彼らは当初、「未来のポップ・ミュージックは電子楽器によって作られる」という信念のもと、シンセサイザーだけで音楽を作ろうとした。
「ビーイング・ボイルド」は、昆虫の養殖という奇妙な題材を冷たい電子音で描いた異色作だったが、その背後には消費社会や倫理への問題意識が潜んでいた。
やがてヒューマン・リーグはメンバー交代を経て、実験性を保ちながらも大胆にポップへと舵を切っていく。無機質な電子音と親しみやすいメロディ。その融合は、「機械の音楽は冷たい」という先入観を覆し、シンセポップという新しい大衆音楽の可能性を切り拓いた。
また、シンセサイザーは未来感だけでなく、知性や叙情性を表現する道具にもなっていった。オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク(OMD)は、デビュー曲「エレクトリシティ」で、エネルギー問題という社会的テーマを、軽やかな電子音と親しみやすいメロディに乗せて描き出した。
無機質なシンセサイザーの響きと、人懐っこいポップ・センス。その絶妙なバランスは、「電子音楽は冷たく難解な実験音楽だ」という固定観念を覆し、シンセポップが知性と親しみやすさを両立できることを示していた。
同じ頃、ニュー・ロマンティックと呼ばれる新たな美学も生まれつつあった。ロンドンのクラブ「ブリッツ」に集った若者たちは、パンクの破れた服ではなく、華やかな化粧や歴史的衣装を身にまとい、自らをアート作品のように演出した。
そのムーブメントを象徴するグループのひとつがヴィサージだ。「フェイド・トゥ・グレイ」で聴かれる退廃的なシンセサウンドと中性的な美意識は、「見た目」そのものを表現の一部とする80年代ポップ・カルチャーの先駆けだった。
その流れを次世代へと受け継いだのがデペッシュ・モードだった。エセックスの若者たちによって結成された彼らは「ドリーミング・オブ・ミー」や「ジャスト・キャント・ゲット・イナフ」で、シンセサイザーだけで奏でられる軽快なポップ・ミュージックをヒットチャートへ送り込んだ。
後年、よりダークで内省的な方向へ進化していく彼らだが、その出発点には「電子音楽は特別な実験ではなく、誰もが口ずさめるポップソングになり得る」という確信があった。
こうして、シンセサイザーは単なる新しい楽器ではなく、未来への憧れや不安、都市の孤独、歴史への眼差し、そして華やかな自己演出までも表現するツールとなっていった。
パンクが「演奏経験なんてなくてもいい」と叫んだとき、多くの若者はギターを手にした。しかし、その次の世代はキーボードのスイッチを入れた。やがて、その電子のきらめきはミュージック・ビデオという新たなメディアと結びつき、80年代という「映像の時代」を鮮やかに彩っていくことになる。