…to be continued
パンク以後の音楽地図――ポスト・パンクとニュー・ウェイヴ(1978‐80年)
1977年に頂点を迎えたパンク・ロックの嵐は、翌1978年、セックス・ピストルズの崩壊によってその終焉を象徴的に迎えた。しかし、その「壊してしまえ」という精神は、レゲエやファンク、電子音楽、現代音楽と出会うことで、さらに自由な実験へと向かっていく。その新しい波こそが、ポスト・パンクでありニュー・ウェイヴだった。
ピストルズの顔:ジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)が新たに結成したパブリック・イメージ・リミテッド(PiL)は、パンク的なコード・ストローク主体のギター中心主義を解体し、レゲエ/ダブ由来の重低音ベースと金属的なギター・ノイズを前面に押し出した。
PiLの冷徹なアート性を、独自の「内省的な闇」へと昇華させたのがジョイ・ディヴィジョンだ。「Transmission」で〈Dance, dance, dance to the radio〉という象徴的なフレーズに乗せて、彼らが描き出したのは単純な社会への反抗ではなく、現代社会に生きる人間の疎外感と切実なコミュニケーションへの渇望だった。
一方、パンクの衝動に鋭利な黒人音楽の身体性を注入し、独自の進化を遂げたバンドたちもいた。ギャング・オブ・フォーは、金属的でファンキーなカッティングギターと、批評性に満ちた歌詞を融合。彼らが提示した「踊れるポスト・パンク」は、後のオルタナティブ・ロックやポスト・ハードコアに大きな影響を与えることになる。
独自の耽美的な世界観で頭角を現したのがザ・キュアーだ。初期の彼らは無駄な音を一切削ぎ落としたソリッドなポスト・パンク・サウンドを創り上げ、「A Forest」で聴かれるミニマルなリズムと幻想的なギターの響きは、文学的で孤独な世界観と結びつき、後のゴシック・ロックへとつながる要素を宿していた。
「ブロムリー・コンティンジェント」と呼ばれたピストルズ周辺のファン集団出身だったスージー・スー率いるスージー&ザ・バンシーズも、鋭利で不穏なギターと耽美的な美意識でシーンに異彩を放った。
「Hong Kong Garden」で聴かれるキッチュな異国情緒と張り詰めた緊張感は、ニュー・ウェイヴのアート性を象徴するものだった。この曲はロンドンの中華料理店で目にしたアジア系住民への人種差別的な扱いが着想のきっかけとなっており、その鋭い社会への眼差しもまた、彼女たちの重要な特徴だった。
また、XTCは、神経質で切れ味鋭いリズムと、ポップ職人的なメロディ感覚を融合。インテリジェンス溢れる鋭利なポップ・サウンドは、ニュー・ウェイヴのシーンで多くの支持を得た。
ザ・ポリスは、前世代のパンク的な切迫感と、レゲエ由来の空間的なグルーヴを洗練されたポップへと結晶化させた。彼らは実験性と大衆性が両立できることを証明し、ニュー・ウェイヴの商業的成功を象徴する存在となった。
さらに、この新しい風は、パブ・ロックの土壌から現れたソングライターたちをも刺激した。その筆頭がエルヴィス・コステロだった。彼の代表曲「オリヴァーズ・アーミー」は、きらびやかなポップ・ソングでありながら、その裏には英国の軍事介入と、それを支える階級社会への風刺が込められていた。その高密度な毒気と知性は、パンクの持つ剥き出しの怒りを、より洗練されたポップ・ソングへと昇華させる新しい天才の登場を告げていた。
一方、大西洋を挟んだアメリカ・ニューヨークでは、トーキング・ヘッズが登場し、パンクの荒々しさとは無縁の、神経質でタイトなビートを刻みながら、やがてブライアン・イーノとの共同作業を経て、アフリカ音楽のポリリズムやファンクの反復性を大胆に取り込んでいく。
アルバム『Remain in Light』(1980)で結実したそのサウンドは、インテリジェンスとブラック・ミュージックが融合した、ニュー・ウェイヴが目指した「アートとしてのロック」のひとつの完成形だった。
こうして、ディスコ、ファンク、レゲエ、ダブ、さらには現代音楽的なアイデアまで、面白そうなものは何でも貪欲に取り込む――知的でスリリングな実験精神が、70年代末期の音楽シーンをエキサイティングなものにした。
ポスト・パンクの実験性とニュー・ウェイヴのポップな洗練。その自由な精神は、やがて「ギター・バンド」という形式そのものを超え、スタジオを楽器として扱う発想や、シンセサイザーを中心とした新しい音楽へと受け継がれていく。