…to be continued
ロック・オペラの隆盛 ― 劇場型エンターテインメントの誕生(1974-79年)
パブロックやパンクがロックを“街角”へ引き戻そうとしていた頃、一方ではロックを、より巨大な劇場空間へ変えていこうとする潮流も発展していた。
1970年代後半、録音技術の進化や、ライブ会場(スタジアム)の巨大化によって、大衆は、視覚・聴覚のすべてを動員する“劇場型エンターテインメント”という新たな刺激に出逢うこととなった。
この源流として、69年にザ・フーが発表したアルバム『Tommy』の存在は大きい。ロック・ミュージカルとも呼ばれた物語構成のアルバムは、後の“劇場型ロック”の土台となった。また同時期、ザ・キンクスも英国的な風刺劇をアルバムで展開し、ロックの演劇化という発想を先取りしていた。
そして、それをさらに推し進めたのがデヴィッド・ボウイだった。彼は74年の『ダイアモンドの犬』ツアーで、退廃的な未来都市を模した巨大なセットをステージに持ち込み、ロック・コンサートを「一人芝居の舞台」へと塗り替えた。
また、プログレッシブ・ロックの旗手であったジェネシスも、ピーター・ガブリエルが奇抜なコスチュームで物語の登場人物を演じるスタイルを確立。74年末の『眩惑のブロードウェイ』ツアーは、全編が一つの物語として進行するという演劇的なロック・ショウの先駆けとなった。
こうした演劇的アプローチに、スタジオ技術を融合させたのがマンチェスターの知性派集団、10ccだった。「パリの一夜」(1975)は、まさに耳で聴くミュージカルだった。
パリの街角の人間模様を複数のセクションで描き出したこの楽曲は、緻密な多重録音によって、音響だけで濃密な劇空間を築き上げた。メンバーのグラハム・グールドマンは、クイーンが自分たちのレコーディング手法やステージを注視していたことに触れ、この独創的な構成が後の「ボヘミアン・ラプソディ」にインスピレーションを与えたのではないかと語っている。
そして、この時代の絶対的な覇者となったのがクイーンだ。稀代のエンターテイナー、フレディ・マーキュリーは、数万人を収容する会場を一瞬にして豪華なオペラハウスへと変貌させた。観客を「共演者」へと変える巧みな演出と、スタジオ技術の粋を集めた構築美によって、クイーンは総合芸術としてのロックを創り上げた。
劇場化の波は、SF的、あるいはコミック的な視覚スペクタクルとしても加速していく。エレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)は、「ミスター・ブルー・スカイ」(1977)に象徴される管弦楽を融合させたサウンドを、スタジアムに鎮座する巨大な「宇宙船(UFO)」型のステージセットで具現化した。
さらにKISSはステージで火炎を吹き上げ、血を吐く「虚構の美学」を極限まで押し上げ、観客を非日常の狂宴へと誘った。
また、劇作家ジム・スタインマンと組んだミートローフの存在も、この時代のドラマ性を語る上で欠かせない。アルバム『地獄のロック・ライダー(Bat Out of Hell)』(1977)は、一編の映画やミュージカルを丸ごとアルバムに封じ込めたような過剰な叙事詩だった。バイクの排気音を模したギターや、悲劇的なヴォーカルによって語られる物語は、ロックを「叙事詩」としてスタジアムの最後列まで届けた。
そしてこの「劇場化」を内省的、壮大に突き詰めたのがピンク・フロイドだった。彼らは77年の『アニマルズ』ツアーで巨大な豚を飛ばし、79年にはアルバム『ザ・ウォール』を発表。その後のツアーではステージ上に実際に巨大な「壁」を築き上げ、演奏中に観客とバンドを物理的に分断するというコンセプチュアルな試みによって、劇場型ロックの一つの到達点を示した。
こうした物語性や視覚的インパクトは、80年代のMTV時代における映像表現の原典となり、現代のレディー・ガガやコールドプレイといったトップ・アーティストたちのスタジアム・ツアーへと脈々と受け継がれることとなった。