ロックが大衆の場に帰った時代 ―パブロックの台頭(1971–1975年)

1973年から75年にかけてのイギリスは、政治的混乱と経済停滞の渦中にいた。ストライキ、物価高、電力制限、通貨危機――社会全体が疲弊し、未来への展望を失いつつあった。

ロック・シーンもまた、巨大化と複雑化が進んでいく一方で、閉塞感も募り始めていた。グラムロックの華やぎが終わり、プログレッシヴ・ロックが難解さを増していく――そんな中で登場したのが「パブロック」だった。

パブロックは、ロックを大衆的な場に戻そうとする動きだった。演奏するのは大規模なアリーナではなく、地元のパブ。高価な機材ではなく、ギターとアンプだけ。派手な衣装も照明もなく、聴き手と数メートルの距離で鳴らされるラフなロックンロール。そうした原点回帰の精神こそが、このムーブメントの核心だった。

その中心にいたのが、ブリンズリー・シュウォーツだ。バンドのソングライターだったニック・ロウは、後にプロデューサーとしても活動し、若きエルヴィス・コステロをデビューへ導くことになるが、彼は「ピース・ラヴ・アンド・アンダースタンディング」(1974)でパブロックの理想を示した。R&Bとカントリーを基調にしながらも、皮肉と温かさが同居する作風は、後のニューウェイヴ的感性を先取りしていた。

「(What's So Funny 'Bout) Peace Love And Understanding」Brinsley Schwarz (Live TV)

ブリンズリー・シュウォーツ解散後、ニック・ロウはソロ活動へと進み、「Cruel to Be Kind」(1979)で英国的ユーモアとポップ感覚を融合させた。この曲は、パブロックの持っていた温もりや人間味をそのままに、より軽やかで洗練された形へと進化させ、彼の代表作となった。

「Cruel to Be Kind」Nick Lowe

ドクター・フィールグッドも、ブルースやR&Bの伝統をシンプルなバンド・サウンドで再生し、観客の目前で汗を飛ばしながら演奏するスタイルで注目を集めた。リードギターのウィルコ・ジョンソンによる鋭いカッティングは、後のパンク世代にも大きな影響を与えた。

「Roxette」Dr. Feelgood

さらに、キルバーン&ザ・ハイ・ローズ、ダックス・デラックス、エディ&ザ・ホット・ロッズなども小規模ながら熱心なファンを集め、イギリス各地のパブを巡回するライブ回遊文化を生み出した。

そのネットワークが、のちに〈スティッフ・レコード〉をはじめとするインディ・レーベルの誕生や、若者たちが自らレコードをプレスし、パブの壁に手描きのポスターを貼るようなパンク・シーンへとつながっていく。

「Vidiot」Kilburn and The High Roads feat. Ian Dury
「Love's Melody」Ducks Deluxe
「Do Anything You Wanna Do」Eddie & Hot Rods

この流れの延長線上で登場したのがエルヴィス・コステロだ。ニック・ロウがプロデュースしたデビューアルバム『マイ・エイム・イズ・トゥルー』(1977)は、パブロック的な演奏のシンプルさと、ソングライティングの知的なひねりを融合させた作品だった。

コステロは、屈折した怒りを湛えたボーカルと鋭利な言葉遣いで、パブロックがもたらした現実的なロックを新しい形で継承していた。

「(The Angels Wanna Wear My) Red Shoes」Elvis Costello

1970年代半ばのイギリスは、夢を語ることをやめた時代であると同時に、音楽が再び現実の息づかいを取り戻した時代でもあった。

パブロックは、そうした時代の象徴的なムーブメントであり、短命に終わったものの、手づくりの音楽、率直な演奏、観客との距離の近さ――といった理念は、のちのパンク、そしてニューウェイヴへと確実に受け継がれていった。

…to be continued