…to be continued
ローレルキャニオンの青春 ― 自由と調和の理想郷(1965‐75年)
1960年代半ば、バーズのロジャー・マッギンとクリス・ヒルマンは、ロサンゼルス北部、ハリウッド・ヒルズの一角にあるローレルキャニオンに住みはじめた。以降、次々と個性豊かなミュージシャンが集まり、それぞれの家が小さなスタジオやサロンのような役割を果たすようになる。
「ローレルキャニオンにはスタジオもレーベルもなかった。ただギターと、語り合う友人たちがいた。あの頃は "生きること"そのものが音楽だった」(ロジャー・マッギン)
映画「イージー・ライダー」の主題歌を依頼されたマッギンは、この地で「イージー・ライダーのバラード」(1969)を書き上げた。
川よ 流れろ 海へと
その流れの先こそが 俺の目指す場所
この曲には「名声や成功のためにではなく、自然のままに生きる」という1960年代カウンターカルチャーの精神が息づいている。
ドアーズのジム・モリソンも、恋人パメラ・コーソンとともにこの地で暮らしていた。「ラヴ・ストリート」(1968)では、二人が仲間たちと過ごす穏やかな風景が描かれている。
また、ジョン・フィリップス率いるママス&パパスの「若草の祈り」(1967)には、ニューヨークの喧騒を離れてキャニオンに移り住んだ喜びが描かれていた。
ジョニ・ミッチェルは、この地での交流を通して多くの名曲を生み出した。「サークル・ゲーム」(1966)は移住前に作られた曲だが、1970年のアルバム『レディーズ・オブ・ザ・キャニオン』に収められ、ローレルキャニオンの穏やかな空気が感じられる代表作となった。
スティーヴン・スティルスが初めてデヴィッド・クロスビー、グラハム・ナッシュと共に歌ったのはジョニ・ミッチェルの家だったと言われており(キャス・エリオットの家という説もある)、彼は「まるで丘の上に"調和"という神が降りたようだった」と、当時を回想している。のちに"クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング"として発表された「僕らの家」(1970)は、ナッシュがジョニとキャニオンで過ごした日々をもとにしている。
キャロル・キングは60年代末にニューヨークからこの地に移り住み、アルバム『つづれおり』を制作した。多くのミュージシャンによってカバーされている名曲「君の友だち」は、当時親しかったジェイムス・テイラーとの友情から生まれたと言われている。
「ローレルキャニオンにいた人たちは、互いに競うというより、励まし合っていた。まるで音楽でつながる家族のようだった」(キャロル・キング)
リンダ・ロンシュタットは1969年ごろ、ローレルキャニオンに拠点を移し、ジャクソン・ブラウンやJ.D.サウザー、キャロル・キングらと交流を深めながら、ソロ歌手としての道を歩み始めた。
リンダのバックバンドに加わったグレン・フライとドン・ヘンリーは、やがてキャニオンの仲間と共に曲を作りはじめ、1971年にイーグルスを結成。「テイク・イット・イージー」(1972)には、ローレルキャニオンに流れる開放的な空気が流れていた。
しかし、この理想郷を包んでいた空気は変わり始めていた。転換点となったのは1969年だ。ベトナム戦争の泥沼化や、ロバート・ケネディ、キング牧師といった希望の象徴たちの相次ぐ暗殺。そして、チャールズ・マンソン事件という狂気。隣人への無条件の信頼を礎にしていた「愛と平和」の理想は、この年、深い絶望へと塗り替えられた。
70年代初頭のローレルキャニオンは、音楽的には「第二の黄金期」となったが、かつて家族のようだった絆には、巨大な富を生む音楽ビジネスという冷徹な現実が関わり始めていた。そんな中、コミュニティに入り込んだドラッグ文化の渦に呑み込まれていく仲間もいた。
1970年代半ば、ミュージシャンとしての成功を手にした者たちは、質素なキャニオンの山小屋を捨て、高い塀に囲まれた海辺の豪邸へと移り住んでいった。精神的な支えを失い、住人たちが去ったとき、理想郷としてのローレルキャニオンは静かに霧散したのだった。
イーグルスのグレン・フライは「ホテル・カリフォルニア」(1976)の一節 "We haven't had that spirit here since 1969" について問われた際、暗殺事件や戦争に揺れたあの頃を回想して答えている。
「誰もが信じた60年代の精神は1969年に死んだんだ。あの年を境に、僕らはもう二度と、無垢な心で音楽を奏でることはできなくなった」
若いミュージシャンたちの"理想郷"となったローレルキャニオンは、一時だけの儚い夢だったかも知れない。しかし、ひとつの時代を象徴する場所としてアメリカの音楽史に刻まれ、この地で生まれた音楽とミュージシャンたちの絆は、のちのウェストコースト・サウンド、AOR(Adult-Oriented Rock)へと受け継がれていった。
「ローレルキャニオンで過ごした時間は、私たちに"どう生き、どう愛するか"を教えてくれたの」(ジョニ・ミッチェル)