ロックが生まれる前に 

「十字路で悪魔と取引を交わし、驚異的な演奏技術を授かった」というロバート・ジョンソンの伝説は、その神秘性やジョンソンへのリスペクトとともに、現代まで語り継がれている。代表曲「クロスロード・ブルース」は、彼に多大な影響を受けたエリック・クラプトン(クリーム)の有名なカバーで聴いた人も多いだろう。

「Crossroads」Cream

ジョンソンは1938年8月、ミシシッピ州で27歳の生涯を閉じた。女性がらみの嫉妬によって毒殺されたという説もあるが、真相は定かではない。しかも、生前の彼に関する資料は少なく、1980年代に写真が発見されるまで、顔さえも謎の存在だった。録音した曲はわずか29曲。しかし、卓越したギター演奏と独特の歌を残したジョンソンは、現代のロックへと続く音楽史において孤高の存在として刻まれている。

「Cross Road Blues」Robert Johnson

ジョンソンが演奏していたアメリカ南部では、後のジャニス・ジョプリン、ボニー・レイットなどに大きな影響を与えることとなるマ・レイニーが1920年代を中心に活躍していた。また、1930年代から40年代にかけて、ミシシッピ州の黒人教会やクラブでは、ゴスペル歌手のシスター・ロゼッタ・サープが、観客を手拍子と歓声で巻き込んでいた。後のロックンロールに大きな影響を及ぼした彼女は、「ストレンジ・シングス・ハプニング・エブリデイ」(1944)で、ゴスペル分野において初のビルボード上位にランクインした。

「Ma Rainey's Black Bottom」 'Ma' Rainey
「Strange Things Happen Every Day」Sister Rosetta Tharpe

1940年代~50年代にかけては、後に「リズム・アンド・ブルースの父」「ロックンロールの祖父」とも呼ばれることとなるルイ・ジョーダンが、ロサンゼルスを中心としてジャンプ・ブルースで観客を熱狂させ、シカゴではマディ・ウォーターズがギターをアンプにつなぎ、ブルースをパワフルに歌い上げた。

「Saturday Night Fish Fry」Louis Jordan
「Gypsy Woman」Muddy Waters

こうしてブルースは、都会のサウンドと、ミシシッピ州デルタ地域の農村で育まれた哀愁を帯びた旋律が交わりながら進化していった。

そんな中、アラバマ州のラジオ局で働いていたサム・フィリップスは、少年の頃に立ち寄ったメンフィスで触れた音楽──ブギウギ・ピアノの跳ねるリズムやブルース歌手たちの力強い声、靴音や手拍子が忘れられず、1950年にサン・レコードを設立。後に、ここでロックの歴史が本格的に動き出すことになる。

デルタの十字路、シカゴの酒場や南部の教会、メンフィスの街角──異なる土地で生まれた音楽は、運命の糸で結ばれるかのように、やがて一つの方向へ収束しようとしていた。それは、まだ「ロック」という言葉が存在しない時代に生まれつつあった新しい音楽の胎動だった。

…to be continued