…to be continued
1969年:「私たちの望むもの」を探して
1969年、日本は高度経済成長のただ中にあった。翌年の大阪万博を控え、「豊かさ」と「未来」への期待が街にあふれていた。一方で、大学では学生運動が激しさを増し、ベトナム戦争への反発や既成の価値観への疑問が、若者たちの間に広がっていた。
この年の日本レコード大賞は、内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」。前川清の情感豊かな歌声と哀愁を帯びたメロディーは幅広い世代の心をつかみ、ムード歌謡は70年代初頭にかけての黄金時代を迎えようとしていた。
この年に大ヒットしたいしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、1970年代以降、日本音楽界を代表することになる筒美京平の存在を広く印象づけた作品だった。
また、由紀さおりの「夜明けのスキャット」は冒頭から「ルルル……」という歌詞のないスキャットが続き、それまでの歌謡曲とは違った、新しい時代感覚が息づいており、この曲の大ヒットは、洗練された和製ポップスの幕開けを象徴する出来事でもあった。
一方、1960年代半ばから若者たちを熱狂させていたグループ・サウンズ(GS)は黄昏を迎えつつあった。ビートルズに憧れ、エレキギターを手にした若者たちが生み出したGSは、日本の若者文化が全国規模に広がった一大ブームだったが、その熱狂は長く続かなかった。
ザ・タイガースが、この年に発表した「廃墟の鳩」は、GS全盛期の明快な恋愛ソングとは異なるメッセージ性と物憂い陰影を帯びており、後の視点で振り返ると、ひとつの時代が終わる、その予感が漂っていたようにも感じられる。
ザ・タイガースをはじめとする人気GSバンドにも陰りが見え始め、ブームは終息へ向かいつつあった。しかし、このブームによって育まれた「自分たち世代の音楽を創り出したい」という意識は、別のかたちで受け継がれようとしていた。
そんな時代の空気を鋭く察知し、この年に誕生したのがURC(Underground Record Club)だ。大手レコード会社やテレビに頼らず、会員制の形で自主制作のレコードを配布し、商業レコード会社を介さずにフォーク作品を流通させた。
岡林信康、高田渡、五つの赤い風船、中川五郎、六文銭らの作品を発表したURCは、日本のインディーズ文化の原点ともいえる存在だった。
URCの配布レコードに収められていた高田渡の「自衛隊に入ろう」は、「若い力を求めてる」と自衛隊募集の文句をなぞりながら、戦争と国家を鋭く風刺した。怒りを直接ぶつけるのではなく、ユーモアと皮肉によって聴き手がそれぞれに考えさせられる歌だった。
同じくURCの配布レコードに収められていた五つの赤い風船「遠い世界に」は、素朴なメロディーと美しいハーモニーに乗せて、自由な世界への希求を感じさせる歌だった。
フォークは単なる「反体制の叫び」ではなく、問いかけ、笑い、戸惑い、願い――それぞれの言葉で、若者たちは時代を歌い始めていた。
この年、海の向こうでは、ニューヨーク州でウッドストック・フェスティバルが開催された。40万人ともいわれる若者たちが集まり、音楽を通して自由や平和への思いを共有したこの祭典は、1960年代のカウンターカルチャーを象徴する出来事となり、日本の若者にも影響を与えた。
そして日本でもこの年、岐阜県・中津川で第1回全日本フォークジャンボリーが開かれた。テレビでもレコード会社の主催でもない。若者たちが自分たちのための場所に集い、自分たちの歌に耳を傾ける──そこには岡林信康、高田渡、五つの赤い風船らが集い、新たな時代の幕開けを予感させる歌声が響いていた。
こうした時代の空気を詰め込んだ岡林信康の「私たちの望むものは」は、翌年の中津川で決定的な象徴性を帯びることになる。この曲は、第2回全日本フォークジャンボリー(1970年)で、デビュー直後のはっぴいえんどをバックに演奏され、フォークと日本語ロックが交差する瞬間を刻むこととなった。
GSブームの終焉、新しい感覚による歌謡曲の息吹き、そして、若い世代が躍動する和製フォーク・ロックの潮流…こうして日本の音楽界は70年代への新たな扉を開けようとしていた。
次回は1968年へさかのぼる。グループ・サウンズが頂点を迎える一方で、学生運動や反戦運動の高まりを背景に、既成の歌謡曲とは異なる表現を求める若者たちも現れ始めていた。その時代の葛藤を探っていく。