…to be continued
1976年:テレビ発の大ヒットと「表現者」たちの覚醒
1976年の音楽シーンを象徴するのは、記録的な大ヒットとなった「およげ!たいやきくん」だ。児童向け番組から生まれたこの曲は、450万枚以上という驚異的な売上を記録した。ヒットの背景には、子供だけでなく、当時の管理社会に閉塞感を感じていた大人たちの共感があった。
また、年間2位になった「ビューティフル・サンデー」も、テレビの体操コーナーから火がついたものであり、この年はテレビというメディアが持つ、音楽を社会現象へと押し上げるパワーが最大化した年だったとも言える。
しかし、その影では、日本の音楽界を大きく変える動きが進んでいた。後に「ニューミュージック」と呼ばれる勢力の台頭だ。そのシンボル的な存在となった荒井由実(現・松任谷由実)は「あの日にかえりたい」でチャート1位を獲得。さらにアルバム『14番目の月』を大ヒットさせ、「テレビに依存せずとも、洗練された音楽を作れば若者は支持する」という新しいビジネスモデルを証明した。
ニューミュージックの台頭は歌謡界にも波及し、研ナオコの「あばよ」(作詞曲:中島みゆき)、梓みちよの「メランコリー」(作曲:吉田拓郎)、中村雅俊の「俺たちの旅」(作詞曲:小椋佳)、など、ニューミュージック界の感性と歌謡曲の歌い手が融合した初期の傑作が次々と生み出された。
また、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を作詞した元はっぴいえんどの松本隆は、従来の職業作詞家の手法とは異なる新しい感性を歌謡曲に吹き込み、この後、歌謡界とニューミュージック界が混じりあっていく時代を牽引する一人として、数多くのヒット曲を生み出していく。
さらに、歌い手たちの「表現者」としての覚醒も見逃せない。山口百恵は、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの感性に惹かれていることを制作陣に伝え、それをきっかけにして、宇崎竜童・阿木燿子コンビによる「横須賀ストーリー」が生まれた。
また、沢田研二の「コバルトの季節の中で」や布施明の「落葉が雪に」など、歌謡界のトップスター自らが作曲を手がけた楽曲もチャートを賑わせ、「歌い手」であったスターたちが、自らを主体的に表現し始めた象徴的な出来事となった。
こうして、歌謡曲とフォーク/ニューミュージックのあいだにあった境界線は、ほどけ始めていた。しかし、まだこの時点では“融合”や “主役交代”というような段階には至っていない。1976年は、次の時代を形作っていく感性や価値観が芽吹き始めた年だったと言えるだろう
次回は1975年にさかのぼり、これらの流れの大きな節目として、当時の音楽シーンを揺るがした出来事の周辺を探っていく。