…to be continued
1977年:ランキング時代の前夜
この年、音楽シーンの中心には歌謡曲があり、テレビのオーディション番組『スター誕生!』でトップスターとなった山口百恵らの後を追うように、大型スカウトコンテストなども含め、次々と新たなアイドルが登場していた。
また、抜群の歌唱力を武器に彗星のごとく現れた狩人「あずさ2号」のような楽曲も、世代を問わず広く愛されていた。
しかし、この時代にヒットチャート自体は存在していたものの、雑誌やラジオを通じて確認する情報であり、多くの人がリアルタイムで同時に共有する指標には至っていなかった。
ある音楽評論家は、当時の状況について「ヒットは“ランキング”というより、街でどれだけ流れているかという体感で測られていた」と語っている。ラジオのリクエスト、有線放送といった断片的な手応えが、ヒットの実感を伝えていた。
年末の賞レースへの大衆の関心度は高かったが、あくまでも一年の総決算であり、日々のヒット動向を継続的に把握している一般のリスナーは少なかった。
そんな中、歌謡曲の外側で大きな地殻変動が起こる。きっかけとなったのは、第14回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称:ポプコン)でグランプリを獲得した世良公則&ツイストの登場だった。
1975年に中島みゆきがグランプリを受賞し、すでにポプコンは注目されるようになっていたが、それまで主流だったフォーク系ではなく、ロックバンドがグランプリを受賞したことは、既存の歌謡曲とは異なる創作・発表の場がより幅を拡げていく予兆でもあった。
実際、この後、ポプコンは一気に認知度を高め、80年代にかけて数多くのヒットを送り出す発信源となっていく。
こうした動きと呼応するように、かつて「フォーク」と呼ばれたジャンルでは、プロフェッショナルな制作体制が整うようになり、より洗練されたサウンドが生み出されるようになっていた。そして、それらは「ニューミュージック」という新たな呼称へと塗り替えられていった。
吉田拓郎はこの変化について「フォークという言葉では収まりきらない広がりが出てきた」と語っている。チューリップ、荒井由実、オフコース、アリス、甲斐バンド、さだまさし、松山千春、原田真二……といった新しい才能たちが、歌謡曲と肩を並べるメジャーな存在として浮上し、日本の音楽界が再編されつつあった。
この翌年には、TV番組『ザ・ベストテン』が放送開始となり、ニューミュージック勢も巻き込んで、“ランキング”というヒット曲の楽しみ方が全国的に広まっていく。
1977年は、ヒットがまだ体感で広がっていた時代から、数字と順位ではっきりと共有される時代へと移り変わる直前の年だった。次回は1976年にさかのぼり、その変化がどこから始まっていたのかを探っていく。