…to be continued
1996年:"J-POP"という文化現象の誕生
1996年は、"J-POP"という言葉が一般にも浸透し、音楽がファッションやテレビ、街の空気と結びついた「文化現象」として拡散した。邦楽ポップスが単なる流行の枠を超え、ライフスタイルや価値観を象徴する存在となっていく――その転換点だった。
"J-POP"という呼称はもともとFM局(特にJ-WAVE)で使われていたが、1996年ごろから雑誌やテレビ番組などでも一般的に用いられるようになり、音楽ジャンルの枠を越えた「時代のキーワード」となっていった。
ヒット曲はメディアと強く連動し、計算された映像戦略やタイアップが次々に成功を収めた。その中心にいたのは、小室哲哉を筆頭とするプロデュース勢だ。
TVドラマ「ザ・シェフ」のエンディングテーマとして放送された安室奈美恵の「Don't wanna cry」は大ヒットとなり、第38回日本レコード大賞を受賞。都会的で洗練されたダンスサウンドは、若者たちの憧れを象徴し、翌年にかけて社会現象化する"アムラー"ブームの原動力となった。
globeの「DEPARTURES」、華原朋美の「I'm proud」も、デジタルサウンドと叙情を融合させ、小室サウンドは、テレビや広告、ファッション誌を巻き込みながら、まさに90年代後半の「時代の音」を作り出していた。
一方では異なる潮流も静かに広がっていた。THE YELLOW MONKEYは「SPARK」や「JAM」で、グラムロックの妖しさと文学的な情感を融合させ、ロックが持つ美学を独自の形で提示した。
また、L⇔Rは前年(1995年)発表の「Knockin' on Your Door」で、洋楽志向のサウンドとスマートなポップセンスを示し、翌96年にかけてロングヒットを記録。都会的で洗練されたポップなサウンドが、当時のJ-POPに新しい風を吹き込んだ。
女性アーティストの台頭もこの年の特徴だろう。PUFFYの「アジアの純真」は、奥田民生のプロデュースによる脱力感とポップセンスで、プロダクト化された音楽の時代に新しい軽やかさをもたらした。
ZARDの「マイフレンド」はアニメ『スラムダンク』のエンディングテーマとして幅広い世代に親しまれ、坂井泉水の透明感ある歌声が"日常に寄り添うポップス"の象徴となった。
一方、UAの「情熱」はジャズやソウル、ラテン・ファンクの要素を取り入れた独創的なサウンドと深い情感で、女性シンガーの新しい表現領域を切り拓いた。
1996年は、音楽がメディアと連動し、街に流れ、生活に浸透する――社会全体を巻き込む文化として確立した時代であり、やがて"J-POP"は、時代を映し出す鏡となっていく。
次回は、1995年にさかのぼり、阪神・淡路大震災とオウム事件を背景に、ポップスが希望を探し続けた"分水嶺の年"を振り返る。